|
|
その理念は、グループの重要なメンバーでもあるピエト・モンドリアンが主張した新造形主義(ネオ・プラスティシズム)であった。しかし、リーダーであるドースブルフの考えは、絵画よりもむしろ建築を重視し、1924年には、垂直と水平だけでなく、対角線を導入した要素主義(エレメンタリズム)を主張した。そのため、両者の対立は決定的となり、モンドリアンは、1925年にグループを脱退する。
その後、雑誌は1928年まで刊行され、グループ自体は、ドースブルフの死(1931年)まで続いた。
このグループは、建築や抽象絵画の重視、バウハウスへの大きな影響、ダダと構成主義の橋渡し、など、国境や美術の分野を越えた活動をおこなったと評価できる。