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イスタンブールは、トルコ共和国西部に位置し、首都アンカラを上回る同国最大の都市である。ボスポラス海峡をはさんでアジアとヨーロッパの2大陸にまたがる。人口1,003万人(2000年)。
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2 歴史 3 交通 4 観光 5 外部リンク |
イスタンブールは、古代のビュザンティオン、コンスタンティノポリスと同じ町であり、しばしば「コンスタンチノープル」の名で言及される。
イスタンブールの現代トルコ語表記は「İstanbul」で、標準トルコ語の発音では最後の音節は長母音化されず「イスタンブル」に近い(口語では母音調和化して「ウスタンブル」に近く発音されることも多い)。
東ローマ帝国時代からスラブ人やアラブ人が旧市街を指して呼んでいたスタンブルという地名がトルコ人にも取り入れられたものと考えられる。この名前は、一説にはギリシャ語の "stin poli" (「都市に」)から取られ、ギリシャ人がコンスタンティノポリスを「都市の中の都市」と呼んだことに由来するという。Constantinopolisがつづまったstanpolという形を語源に想定する説もある。イスラム諸国では、語源をトルコ語で「イスラームが広まった」を意味する"Islam bol"であるとするフォーク・エティモロジー(民間語源説)解釈があり、アラビア語などではイスラームブール(Islāmbūl)と表記されることもある。
この都市の正式名称が、コンスタンティノポリスのトルコ語形であるコスタンティニエ(Kostantiniye)からイスタンブルに改められ、国際的にもコンスタンティノープルではなくイスタンブールと呼ばれるようになるのはトルコ革命後の1930年のことである。
現在「旧市街」と呼ばれる、マルマラ海と金角湾に囲まれた、ヨーロッパ大陸から突き出した半島の先端に設けられた古代ギリシャの植民都市ビュザンティオンが、イスタンブールの起源である。ローマ帝国末期に、コンスタンティヌス1世がここに遷都し、コンスタンティノポリスと改名し、1453年に滅亡するまで東ローマ帝国の首都であった。
1453年にこの町を征服したオスマン帝国のメフメト2世はエディルネから首都を移し、引き続き首都となり、近代には旧市街のみならず、新市街と呼ばれるガラタ地区、ベイオール地区やアジア側のウスクダルなどを取り込んで大都市へと発展する。オスマン帝国の元では、ムスリム(イスラム教徒)のトルコ人だけではなく、正教徒のギリシャ人、アルメニア正教会派キリスト教徒のアルメニア人、ユダヤ教徒のユダヤ人や西ヨーロッパ諸国の商人・使節などさまざまな人々が住む、東西交易の中心都市であった。
1923年、前年にスルタンを廃止してオスマン帝国を消滅させ、首都機能をアンカラに移したアンカラのトルコ大国民議会は、トルコ共和国の建国を宣言。これによって、イスタンブールはコンスタンティヌス以来1000年以上続いた大帝国の首都としての地位を失った。しかし、共和国期も依然としてトルコの社会・経済・文化の中心都市として繁栄し、市域はさらに拡大を続けてボスポラス海峡の沿岸全域とマルマラ海沿岸の広い地域を含む大都市となった。
ヨーロッパ側とアジア側にそれぞれ国際特急の発着する鉄道駅、高速バスターミナル、国際空港があり、トルコ各地や諸外国と繋がっている。それらの中でも、海外からの主要な玄関口となるのはヨーロッパ側のイェシルキョイ(Yeşil Köy)にあるアタテュルク国際空港である。空港と市街地は空港バス HAVAŞ と、地下鉄 Metro で繋がっており、イスタンブル市路面電車・地下鉄運営局(İETT)経営の地下鉄は観光名所の多い旧市街中心部に乗り入れる路面電車(Trambay)と郊外のゼイティンブルヌ(Zeytinburunu)駅で接続している。
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