アヴィニョン捕囚
アヴィニョン捕囚とは、キリスト教のカトリック・ローマ教皇の座が、アヴィニョンに移されていた時期をさす。
1303年のアナーニ事件の後、教皇はフランス王の言いなりとなり、フィリップ4世の要請で教皇庁がアヴィニョンに移される。教皇グレゴリウス11世の時に解放され、ローマに戻るが、彼の死後ローマとアヴィニョン共に教皇が立ちシスマ(教会大分裂)が起こる。1409年のピサ公会議でシスマ解消がはかられたが失敗しピサにまで教皇が分裂し、教皇の権威衰退の一因となった。なお、この分裂は1417年にコンスタンツ公会議で解消されるまで続いた。
古代のバビロン捕囚になぞらえ、「教皇のバビロン捕囚」とも呼ばれた.
7人の教皇がアヴィニョンに居た。
- 教皇クレメンス5世 - 1305年-1314年
- 教皇ヨハネ22世 - 1316年-1334年
- 教皇ベネディクトゥス12世 - 1334年-1342年
- 教皇クレメンス6世 - 1342年-1352年
- 教皇インノチェンティウス6世 - 1352年-1362年
- 教皇ウルバヌス5世 - 1362年-1370年
- 教皇グレゴリウス11世 - 1370年-1375年