Guajara in other languages: Spanish, Deutsch, English, French, Italian ...



アレクサンドロス3世

アレクサンドロス3世(Aleksandros III、紀元前356年7月?~紀元前323年6月10日 在位前336年前323年)は古代マケドニア王国のテメノス朝の国王で、後世にアレクサンドロス大王と呼ばれる。

Table of contents
1 マケドニア王時代
2 東方遠征
3 東西融合政策
4 ヘレニズム文化
5 ギリシャ軍の強さ
6 史料

マケドニア王時代

マケドニア王フィリッポス2世とエピロテ王女オリンピアスの間に生まれ、幼年期にアリストテレスを家庭教師に迎えギリシャの基礎的な教養を身につけた。紀元前338年、アレクサンドロスは一軍の将として父に従いギリシャに出兵しカイロネイアの戦いアテナイテーバイ連合軍を破った。フィリッポス2世は全ギリシアの覇権を掌握したが、ペルシャ東征を計画中、紀元前336年に暗殺される。

若干20歳でマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、競争者を排除してマケドニアの実権を掌握すると混乱に陥っていたギリシャに再び覇を唱えた。ギリシャ諸ポリスと同盟したアレクサンドロスは、父の遺志を継いで紀元前334年にギリシャ軍を率いてペルシャ東征に出発した。

東方遠征

小アジアの征服

紀元前334年、小アジアに渡ったギリシャ軍18,000はグラニコス川の戦いで迎え撃ったミトリダテスの率いるペルシャ軍4万と戦って辛勝した。派手な甲冑を身につけ陣頭指揮に立つアレクサンドロスは、馬を駆って突進し投げ槍でミトリダテスを射止めたと伝えられる。この伝説的な勝利に勢いを得たギリシャ軍は、小アジアのペルシャ軍を駆逐しながら東進を続けた。紀元前333年
アンティオキアの北西でついにダリウス3世率いるペルシャ帝国軍と遭遇した。イッソスの戦いで10万のペルシャ軍を敗走させたギリシャ軍は、ダリウスの母・妻・娘を捕虜にして、ペルシャからの和睦の申し出を拒否しさらに軍を進めた。

エジプトの征服

ここでアレクサンドロスは南下しシリア・フェニキアを屈服させ、紀元前332年に解放者としてエジプトに迎え入れられた。アメン神殿に礼拝したアレクサンドロスはエジプト人からファラオとして認められた。エジプトを奪ってペルシャに大打撃を与えたアレクサンドロスはここで軍隊の再編成を行い、再びペルシャ帝国征服の旅に出発する。

ペルシャ帝国の滅亡

紀元前331年、チグリス川上流のガウガメラの戦い(アルベラの戦いともいう)でギリシャ軍47,000は、20万とも30万ともいわれたダリウス指揮下のペルシャ軍を敗走させた。ダリウスはカスピ海東岸に逃れ、もはやペルシャ帝国は風前の灯火になり果て、ギリシャ軍によってバビロン、スーサの主要都市は略奪されペルセポリスは徹底的に破壊され焼き払われた。翌年、ダリウスが側近のベッソスらによって暗殺されると、アレクサンドロスはベッソスの不義を糾弾してこれを攻め滅ぼしダリウスの遺骸を丁重に葬った。

インドの征服と帰還

ペルシャ帝国を征服したアレクサンドロスはインドへの遠征を目指して、紀元前327年にインダス川を越えてパンジャブ地方に侵入した。インダス川を南下しさらにインド中央部に向かおうとしたが、部下が疲れを理由に進軍を拒否したため、紀元前326年に兵を返して残存する敵対勢力を駆逐しながら紀元前323年にスーサに帰還した。

大王の急逝と帝国の行方

バビロンに戻ったアレクサンドロスはアラビア遠征を計画していたが、急に高熱にうなされ「最強の者が帝国を継承せよ。」と遺言し死去してしまった。残された大帝国はアレクサンドロスの後継者を名乗るアンティゴノス、プトレマイオス、カサンドロス、リュシマコス、セレウコスらの諸将によって、ディアドコイ戦争が勃発し分裂してしまう。

東西融合政策

アレクサンドロスは征服地に
アレクサンドリアと名付けた都市を建設して経済の活性化をはかり、また図書館などを完備してギリシャ文化の浸透を推進し、帝国の公用語にギリシャ語を採用した。さらに東西融合に心を配り、自らダリウス3世の娘を娶りペルシャ人と部下の集団結婚を奨励し、ペルシャ風礼式を取り入れ代官に現地有力者を任命した。

ヘレニズム文化

アレクサンドロスが征服した地域には、ギリシャ文化がオリエント文化と融合しヘレニズム文化と呼ばれる華やかな文化が開花し、ラオコーン像・ミロのヴィーナス・サモトラケのニケ・瀕死のガリア人などの優れた彫刻が制作された。また数学のユークリッド・アポロニオス・アルキメデス、天文学のエラトステネス・アリスタルコスらの学者も輩出し、ヘレニズム文化は古代ローマや現代ヨーロッパに引き継がれた。また、東方奥深くに入植したギリシャ人がガンダーラ美術に大きな影響を与えたことは良く知られている。

ギリシャ軍の強さ

ファランクスと騎兵を絶妙に配分したアレクサンドロスのギリシャ軍は、当時最も優れた戦術を駆使する軍隊であった。また、アレクサンドロスは行軍中にあっても荷馬車に乗り降りして体を鍛錬したと伝えられ、常に最前線で戦い自ら負傷することもあった。幾度となく絶体絶命の危機を切り抜けてきたアレクサンドロスは神懸かった指導者であり、ギリシャ遠征軍は向かうところ敵なしであった。

史料





Wikipedia - All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.

Tagoror dot com  -  Legal Information  -  Contact us