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ジャズのスタイルを取りながら、ソウル、カントリー、フォーク、ポップなど、あらゆるジャンルのサウンドを取り入れたデビューアルバム『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』が一千八百万枚を売り上げ、グラミー賞では主要四部門を含めノミネート部門すべてで受賞し八冠を獲得。アルバム・チャートで百週以上連続一位を記録するなど伝説的な記録を残し、売り上げ記録は現在も更新中。2004年2月にリリースした新作アルバム『フィールズ・ライク・ホーム』は発売後五日目にミリオンセラーとなり、行く先々で強運に恵まれてサクセス・ストーリーを体現する現代のシンデレラ歌手である。
| Table of contents |
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2 サウンドの特徴 3 主なディスコグラフィー 4 外部リンク |
インド人のシタール奏者ラビ・シャンカール(Ravi Shankar)の娘としてニューヨークに生まれたが、四歳のとき母親スーがテキサス州ダラス近郊のグレープヴァイン(Grapevine)に移り住むのについていったため、それ以来膨大なLPレコードを持つ母の強い影響を受ける。五歳のとき教会の合唱団に所属していた。
十五歳の時、郊外のグレープヴァインからダラス中心街に移り住み、ダラスのブッカー・T・ワシントン高校(Dallas' Booker T. Washington High School)でパフォーミングとヴィジュアル・アートを履修。十六歳の誕生日に地元のコーヒーハウスで初のギグ、『アイル・ビー・シーイング・ユー(I'll be seeing you)』を歌う。1996年、高校在学中にダウンビート学生音楽賞(Down Beat Student Music Awards)の「最優秀ジャズヴォーカリスト賞(Best Vocalist)」、「最優秀オリジナル作曲賞(Best Original Composition)」を獲得し、翌1997年にも同音楽賞で「最優秀ジャズヴォーカリスト賞」を受賞する。
高校卒業後、ノース・テキサス大学でジャズ・ピアノを専攻。また、ラズロ(Laszlo)という名のバンドで、本人いうところの「ダークで、ジャジーなロック("dark, jazzy rock")」の曲を歌っていた。大学三年の夏、友人に誘われニューヨークのマンハッタンに旅行。
プロフィール
デビューまで
と、のちに語ったように一か月の予定で旅行に出たまま、大学へは戻らずウエイトレスの仕事をしながらマンハッタンで出会ったソングライターたちに刺激を受け、自分の曲を作り始める。1999年12月ごろより一年ほどはファンク・フュージョンのバンド、ワックス・ポエティック(Wax Poetic, [1])と共演する常連になった。まもなく、ソングライターのジェシー・ハリス(Jesse Harris)、ベースのリー・アレグザンダー(Lee Alexander)、ドラムスのドン・ライザー(Dan Rieser)とバンドを結成、ノラはヴォーカルとピアノを担当した。
結成したバンドのデモを2000年10月にブルーノート(Blue Note Records)でレコーディング。これは、のちにブルーノート・レーベルから『ファースト・セッションズ』(First Sessions)としてリリースされたが現在は廃盤になっている。ブルーノート社長ブルース・ランドヴァル(Bruce Lundvall)がこのデモ・テープを聴いてノラの才能に気付き、2001年1月、ノラはブルーノートと契約することとなった。
ノラは2001年5月からクレイグ・ストリート(Craig Street)によるプロデュースでデビューアルバム『カム・アウェイ・ウイズ・ミー』(Come Away With Me - 邦題: 『ノラ・ジョーンズ』)のレコーディングを開始。同年8月には、ロバータ・フラック(Roberta Flack)、アレサ・フランクリン(Aretha Franklin)、ダスティ・スプリングフィールド(Dusty Springfield)を手がけて定評のあるアリフ・マーディン(Arif Mardin)によるプロデュースとなる。あまりにも高名なプロデューサーがついたので、最初ノラは口を利くのもはばかるほど怖い思いだったが、思いのほか気さくで、たくさんのアイデアを出してくれたと語っている。しかし、まさか記録的ヒットになるとは、ノラ本人すら思いもよらぬことであった。
2002年2月26日、弱冠22歳でデビューアルバム "Come Away With Me" をブルーノートからリリース。同年4月11日、その日本版『ノラ・ジョーンズ』を東芝EMIからリリース。3月28日にローリングストーン誌が取り上げclass="external">[1デビュー
日本へも同年4月にはプロモーションでライヴコンサートを行なっており、9月再来日の際には全国5都市のコンサートを成功させ、さらに欧州1212都市でのコンサートを行ない、ブルーノートの自信のほどがうかがえる。11月にはヴァニティ・フェアー(Vanity Fair)誌表紙に著名なアーティストとともに掲載されるほどの人気を博した。
グラミー賞へのノミネートは当然との見方はもとより、何部門でノミネートされるかが関心の的となって2003年1月7日に八部門でノミネート。1月25日、アジア・オセアニアのツアーの最中、米国アルバム・チャートで首位に躍り出し、発売から一年に満たない期間で、米国内での売り上げ枚数は270万枚を越すこととなった。
第45回グラミー賞(2003年2月24日)でノミネートされていた八部門中、
グラミー賞受賞
と、ノミネート全部門での受賞となり、この年のグラミー賞の話題をさらうことになった[1], [1], [1], [1]、このときノラは、まだ23歳であった。
2004年2月4日に日本先行、2月9日に米国以外で、2月10日に米国で最新アルバム『フィールズ・ライク・ホーム』をリリース。リリース5日目の売り上げが一週間で百万枚を突破した。これはニールセン・サウンドスキャンの調査によるもので、2月15日週末の集計で1,022,149枚を記録し、これにともない前作もヒット・チャート18位に浮上[1], [1], class="external">[12004年新アルバム
ジャズに属するが、米国伝統のさまざまな音楽を取り入れてアレンジ。シンプルで覚えやすいメロディ[2]という評価もある。ファンからはナチュラルな「スモーキー・ヴォイス」と呼ばれ、プロデューサーのアリフ・マーディンは、ジャンルを特定するのは難しいと言う。癒しの効果が絶大という声class="external">[1サウンドの特徴
類似アーティスト
主なディスコグラフィー
シングル
参照リンク
外部リンク
公式サイト
参考記事
Mainichi INTERACTIVE, music column: 恐るべし23歳 ノラ・ジョーンズ
SANSPO.COM: 記念ライブのノラ・ジョーンズは天ぷらそば好き