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エマ・ゴールドマン

エマ・ゴールドマン(Emma Goldman, 1869年6月21日 - 1940年5月14日)は、リトアニア生まれのアナキストフェミニスト

そのラディカルな解放思想やフェミニズムの著作、スピーチで知られる。15歳で姉とともにアメリカに渡り、のちになって、ロシア革命での見聞を語ることになる。またイギリス滞在も長く、後年、イギリスで自伝を執筆している。日本のフェミニスト、とりわけ伊藤野枝に大きな影響を与えた。

Table of contents
1 プロフィール
2 文献
3 関連リンク

プロフィール

リトアニアのコウナス(Kaunas)でユダヤ人を両親に生まれる。暗殺などの政情不安から、13歳のときに一家はペテルブルグに移住、そこで経済的事情で学校にも行けず、働くことになり、「女に学問はいらない」と説いて早く結婚させようとする父と対立した。

父との対立によって、1886年、15歳になったエマは姉とともにアメリカへ移民。縫製工場で女工として働きながら、シカゴのヘイマーケット暴動(Haymarket Riot、 ヘイ・マーケット事件とも、1886年5月1日)から刺激を受け、またこのころアナキストグループとも出会った。1989年、20歳にしてすでに革命家としてアナキストの自覚を持ち、ニューヨークに拠点を移して各地で演説をこなすようになる。1906年には、ロシア生まれのアレクサンダー・バクーニン(Alexander Berkman)とともに、機関紙『母なる大地』(Mother Earth)を創刊。1907年にはアムステルダムの無政府主義者大会に出席した。

1916年2月11日、産児制限運動によって投獄され、さらに翌年には反戦活動のため2年の刑に処せられた。1919年末、国外追放するためのヒアリング主宰者であったエドガー・フーヴァー(J. Edgar Hoover)はエマを「アメリカでもっとも危険な女性だ」と断じた。そしてバクーニンとともにロシアの地へ送還となった。ソビエトへの帰還は、エマにとってロシア革命へ参画する意味があったが、そこで起こっているのはボルシェビキとアナキストの対立であった。ソビエト政府にも反対して外国に去り、以後はイギリス、アメリカ、カナダを転々として暮らした。

1936年スペイン市民戦争Spanish Civil War)が起こった際には、みずからスペインに赴き、人民政府(革命陣営側)とともに闘い、ファシズムのフランコ政権に反対する同国のアナキストを援助、。1940年5月にカナダのトロントで70歳の生涯を閉じ、シカゴに埋葬された。

文献

著  作

  • Living My Life, New York: A.A.Knopf, 1931.(2vols.)(自伝)
  • The Tragedy of Woman's Emancipation, New York, Mother Earth Publishing Association, 1906
    (『婦人解放の悲劇』の原著)

邦訳文献

  • 伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』
    • エマ・ゴルドマン女史『婦人解放の悲劇』(1914年3月東雲堂書店刊)、『結婚と恋愛』、『少数と多数』、ヒポリツト・ハヴエル著『エンマ・ゴルドマン小伝』その他を収録。井出文子・堀切利高編『定本伊藤野枝全集』〔學藝書林、2000年12月〕所収
  • エマ・ゴールドマン著、はしもとよしはる訳『アナキズムと女性解放』JCA、1978年2月
  • エマ・ゴールドマン著、山下一夫訳『アナーキズム:真に無政府主義は何を基礎としてゐるか』自治聯盟出版部、1932年
  • エムマ・ゴールドマン[他]著、司法省調査課訳『露西亜事情』(『司法資料』第48号)、司法省調査課、1924年
  • エンマ・ゴルドマン等著、伊藤野枝訳『婦人解放の悲劇』東雲堂書店、1914年(大正3年)

参考文献

  • Candace Falk, Love, Anarchy, and Emma Goldman, New York: Holt, Rinehart and Winston, 1984.

関連リンク


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