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デンマークでは、もっとも有名な作曲家である。同じ国の作曲家に、ルドルフ・ニールセン(Ludolf Nielsen, 1876年1月29日 - 1939年)がいるが、全く別人である。
同年生まれの北欧の作曲家に、フィンランドのジャン・シベリウスがいる。
生涯
1865年に、ノーレ・リュンデルセに生まれた。アンデルセンの出身地オーデンセから12kmほどはなれた農村地帯である。父はペンキ職人で、兄弟は12人の大世帯で貧しい生活だったが、音楽の趣味があった。
6歳の頃から、父の楽団に入りヴァイオリンを弾くようになった。
14歳の時に、オーデンセの軍楽隊に欠員が出たため応募し合格した。この時は、ホルンとトランペットを扱った。
4年後の1884年、コペンハーゲンの音楽院を受験したが不合格。作曲家のニルス・ゲーゼに作品を見せることによって合格が許された。音楽院時代には、ヴァイオリンソナタ、弦楽四重奏曲などの習作を手がけた。
卒業後の1888年に、「弦楽四重奏曲第1番」、「弦楽五重奏曲」、「弦楽のための小組曲」などの作品を発表。
1889年に、王立劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり、ヨハン・スヴェンセン(Johan Svendsen, 1840年 - 1911年)のもとでオーケストラの活動が始まった。
1891年のパリでアンネ・マリー・ブローデルセン(彫刻家)と出会い、結婚。
交響曲第1番は1892年に完成、作曲家として順調な活動を開始した。
1901年には、4幕からなる歌劇『サウルとダヴィデ』を完成。その中の素材を用いて翌年、交響曲第2番『4つの気質』を発表した。
1903年にギリシャを旅し、エーゲ海の日の出に感激して『ヘリオス序曲』を作曲した。
1908年にはスヴェンセンが王立劇場楽長を引退し、ニールセンがその後を引き継いだが、第一次世界大戦により1914年で中断。その後、音楽協会と王立音楽院の職に就いた。
1912年から1925年の間に、交響曲第3番から第6番まで、およびヴァイオリン協奏曲を作曲。その後、親交のあった管楽五重奏団のために5つ協奏曲を書くことを計画した。「フルート協奏曲」と「クラリネット協奏曲」は完成したが、残り3曲を完成することなく、1931年に逝去した。
交響曲第1番(op.7) は、ト短調のニールセンにしては幾分暗い雰囲気の作品である。古典的な4楽章のスタイルをとる。この曲のみは、スヴェンセンによって初演が行われた。(以後の交響曲は、すべて作曲者の指揮による初演。)
交響曲第2番(op.16) は、歌劇『サウルとダヴィデ』の素材により構成され、『4つの気質』という標題を持つ。4つの楽章はそれぞれ「胆汁質」、「粘液質」、「憂鬱質」、「多血質」と題され、この曲が標題音楽であるか否かの議論になる。
交響曲第3番(op.27) は、『ひろがり』という標題を持つ。いわばニールセンの田園交響曲である。特に第ニ楽章は、アンダンテ・パストラーレで、バリトンとソプラノのヴォカリーズが加わる。第四楽章では、ブラームスの交響曲第1番の終楽章の主題と似た主題が力強く支配する。
交響曲第4番(op.29) は、おそらくもっとも有名で『不滅』もしくは『滅ぼし得ざるもの』という抽象的な標題を持つ。シベリウスの交響曲第7番と同じ単楽章の曲であるが、4楽章が有機的に合成されたものではなく、それぞれの楽章に相当する部分が連続しながら、最後に第1主題が蘇るという構成を持つ。
交響曲第5番(op.50) は標題を持たないが、もっとも完成度の高い交響曲である。2楽章構成であり、古典的な交響曲の形式を含みながらも、ニールセン独自の構成により緊密にまとめられている。
交響曲第6番は『シンプル』という標題を持つ、古典的な4楽章による交響曲である。とはいえ、ニールセンの特色は各所に見られる。第四楽章は「主題と変奏」という副題をもつ変奏曲である。
エーゲ海の日の出の印象を表現した『ヘリオス序曲』(op.17) や交響詩『サガの夢』(op.39) などの他、多数の劇音楽作品がある。
フルート協奏曲は、1926年に完成。これも2楽章構成で、管弦楽にフルートとトランペットは用いられていない。室内楽風の軽妙な響きを持つ。
1928年に完成したクラリネット協奏曲は、ニールセンの協奏曲の中でももっとも特徴的である。構成は単楽章形式で、弦楽以外には、ファゴット・ホルン・小太鼓のみを用いる。独奏クラリネットの用い方はリズミカルで時に多調的であり、ジャズを思わせる部分すらある。
弦楽四重奏曲は、第1番から第4番までの4曲が残されている。第4番の完成は1906年と比較的早いこともあり、古典的な様式にのっとっているが、半音階的移行を多用する旋律やリズムなどにはニールセンの個性が表れている。
ピアノ曲はソナタのような形式の整ったものはなく、小品が主体である。『主題と変奏』(op.40) は、比較的大規模なもの。
他に、独唱のための歌曲、合唱曲等も作曲した。主な作品
ニールセンは多作な作曲家に分類され、歌劇を含むほとんどすべての分野の作品がある。交響曲
交響曲第1番から交響曲第6番まで、6曲の交響曲が残されている。管弦楽曲
音楽院を卒業して1888年に作曲した、弦楽のための「小組曲」(op.1) は、今でも時折演奏される。協奏曲
ヴァイオリンは得意な楽器でもあり、ヴァイオリン協奏曲(1919年、op.33)を1曲残している。同年生まれのシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは大分趣が異なり、賑やかで華々しい曲であるが、時折ロマン的情緒のただよう旋律が含まれる。2楽章からなり、第2楽章の冒頭は、バッハの名によるモチーフ(B-A-C-H)が使われている。室内楽・器楽曲
管楽五重奏曲(op.43)は、1920年から22年の間に、コペンハーゲン管楽五重奏団のために作曲された。作曲の期間は交響曲第5番と重なり、もっとも創作意欲の充実していた時期の作品である。3楽章構成であるが、古典的な有機的な構成を取らず、どちかというく組曲風の性格を持つ、軽妙で愉快な作品である。歌曲
歌劇『サウルとダヴィデ』(全4幕)、『仮面舞踏会』(全3幕)がある。