イスラエル史上、最もパレスチナに強硬姿勢を貫く極右派政治家。
軍人出身。軍指揮官時代は、PLOの武力排斥で名を上げた。
パレスチナ和平の気運が模索されていた微妙な時期に、武装護衛を引き連れて、エルサレムの岩のドームがある丘(イスラム教の聖地)に侵入し、エルサレムは全てイスラエルのものだ、と広言してパレスチナ人を挑発した。激怒したパレスチナ人は、インティファーダを開始し、和平への道は閉ざされた。
テロが連発する情勢に、不安な市民の心を掴み、シャロンは政権の座の奪取に成功した。
事績 軍人時代 レバノン侵攻し、PLOを国外退去に追い込むことに成功する。しかし、レバノンの美しい街だったベイルートは廃墟同然に破壊された。 住宅相時代 ヨルダン川西岸地区(パレスチナ国家予定地)に、積極的にユダヤ人植民を行った。結果20万人規模となる。 首相時代 過激派勢力の掃討作戦 PLO アラファト議長の軟禁と、議長府の破壊 パレスチナ国家予定地内への「壁」の建設 - 国連でも非難が高まる