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ローマ属州イリリクムの出身で、本来の名はディオクレス(Diocles)。一兵士から親衛隊長官にまで出世し、先帝ヌメリアヌスの死後軍に推戴されて皇帝となった。
当時、広大なローマ帝国の統治と防衛を単独で行うのは困難だと考えられた。そこで軍の同僚だったマクシミアヌスを共同正帝として任命し、自身は東方を治め、マクシミアヌスに西方を治めさせた。彼らは国境防衛に便利なように前線にほど近い都市に宮廷を置いたため、ローマ市の重要性はますます低下した。
さらに292年、それぞれの正帝が副帝を任命し、彼らにライン川とドナウ川の防衛線の維持に当たらせた。 結果として帝国は事実上四人の皇帝により統治されるようになったことから、歴史家はこれを四分統治と呼んでいる。 ただこの制度はディオクレティアヌスの巧妙な政治的手腕によって維持されていたため、彼が引退するとその均衡が崩れ、内戦を招くこととなった。 また宮廷が四つもあるため官僚機構が肥大化し、その費用を賄うために市民には重税が課せられた。
帝国の統一を維持するため、伝統的崇拝を保護。このためキリスト教徒を弾圧することとなった。この時期キリスト教史では「大迫害」と呼び、キリスト教史上最も多くの信者が殉教したことで知られる。
305年、彼は健康を崩したこともあって退位し、アドリア海に臨むサロナに離宮を作って隠棲し、数年後にそこで亡くなった。
歴代ローマ皇帝の中で、引退した例は他にはほとんど存在しない。
統治地域