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非常に高速な電子計算機(コンピュータ)を特にスーパーコンピュータ(Super computer、略称:スパコン)と呼ぶ。メインフレームやワークステーションを入出力用の端末とし、計算処理だけを行うのが主な役割である。
コンピュータはその進歩が早いため、その時代毎に、スーパーコンピュータの対象、定義は異なる。
その時代その時に非常に速いコンピュータがスーパーコンピュータである。
スーパーコンピュータには常に最新鋭のテクノロジーが採用されている。現在ではベクトル演算、パイプライン処理、パラレル処理、UNIXの採用が当たり前のようになっている。
最初に「スーパーコンピュータ」が呼称に使われたのは、クレイ社のCRAY-1(1976年)である。一時期はCDCなど数社が製作していた。
クレイ社を創業したセイモア・クレイは、CDCで科学計算向けの汎用コンピュータの設計をしていたが、ベクトル計算専用の高速計算だけを目的にした計算機を作るために独立した。CRAY-1は、汎用コンピュータのバックエンドとして使うようになっていた。電流の速さを考慮して配線の長さを短くするためにカードを円筒状に並べ、計算機の外観は円柱になっていた。この円柱の回りには、中に電源部をいれたベンチが配置され座ることができ「世界で一番高価なベンチ」と呼ばれた。
日本では、1970年代後半頃から富士通、日立製作所、日本電気の、いわゆるメインフレームコンピュータメーカご三家が開発を始めた。それぞれ、VPシリーズ(1982年発表←VP100)、Sシリーズ(SRシリーズ、1981年発表←S-810モデル10)、SXシリーズ(1983年発表←SX-2/SX-1)という名称である。
その後、クレイ社のスーパーコンピュータを凌駕する性能の製品が生まれ、日本を始め世界各国に輸出されるようになった。しかしながら、日本電気製のスーパーコンピュータがアメリカに納入されると、ダンピングであるというクレームが付き、いわゆる日米スーパーコンピュータ摩擦が発生した。その結果、非常に高価な関税が掛けられ、スーパーコンピュータの、アメリカへの輸出は事実上不可能になってしまった。
しかし、その後、クレイ社を中心とした、ベクトル型のスーパーコンピュータの普及が頭打ちになり、スーパーコンピュータを作っていたメーカーの撤退が始まった。日本でも、富士通と日立製作所がベクトル型のスーパーコンピュータから撤退し、日本電気のみが継続して開発を行なっている。そして、クレイ社が日本電気製のスーパーコンピュータをOEMで輸入するようになり、日米スーパーコンピュータ摩擦は終結している。
1980年代から1990年代初頭までは、いわゆるベクトル計算機がスーパーコンピュータの中心であったが、1990年代中盤以降、超並列マシン等が徐々に台頭してきている。2004年現在では、あまりスーパーコンピュータの呼称は使われず、超並列マシン、ハイパフォーマンス・コンピューティング (HPC)、コンピュータ・クラスター、ワークステーションクラスター(大規模なもの)、グリッドコンピュータと個別の呼称で言われるようになってきている。
関連項目
外部リンク