キプチャック・ハン国
チンギス・ハーンの長子ジュチはモンゴル帝国の北西方に領土を得たが、その子バトゥはオゴダイ・ハーンの命を受けて13世紀前半にヨーロッパに侵入した。バトゥの快進撃はオゴダイ・ハーンの死まで続き、バトゥは父から継承した領土に加え南ロシアを中心に広大な領土を得て、1243年にボルガ川河畔のサライに首都を築きキプチャック・ハン国を建設した。
14世紀前半にキプチャック・ハン国は最盛期を迎えたが、1396年、サライがティムールに攻略されると衰退し始め、1480年にはモスクワ大公国がキプチャック・ハン国から独立してロシアの領土の大半を失った。その後キプチャック・ハン国は分裂を繰り返しながらも命脈を保っていたが、1783年、バトゥの血を引くクリミア・ハン国がロシア帝国に併合され完全に滅んだ。