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レッド・ツェッペリン

Led Zeppelin1968年1980年イギリス)は、ハードロックの中心的な存在であり、70年代を代表するロックバンドの一つ。

スタジオ・セッション・ギタリストを経てヤードバーズ最後のリードギタリストとなったジミー・ペイジ(詳細は、メンバーの項目参照)が、同バンドの録音方法のずさんさやボーカリストの重要性に目覚め、偶然性も加わってオーソリティーともいえる各パートのメンバーをそろえて結成されたもの。(よって、ヨーロッパなどに於けるごく初期のライヴでは、「ニュー・ヤードバーズ」と名乗った事もあった。)特に、以前からペイジとスタジオ・セッションで顔を合わす機会の多かった、ベーシスト兼キーボードプレイヤーのジョン・ポール・ジョーンズは、ペイジのようなスターではなかったが、当時は、黒人音楽に精通するアレンジャーとしての地位を既に持ちえていた。(他のメンバー、ロバートとボーナム(ボンゾ)のレッド・ツェッペリン加入の経緯は、ジミー・ペイジの項目を参照のこと。)

しかし、その音楽性やグルーブ、楽曲の完成度は、つい最近まで、「ブリテッシュハードロックの聖域」といわれるほど独自なもので、各メンバーのピーク時のコピーは、現在に至っても当の本人すら不可能なものであった。 ハードロックバンドとは一般に呼ばれているが、アコースティックギター中心のナンバーにも力を入れ、トラッド風、メローなバラード調をはじめ、中東風民族音楽的要素、踊れないファンク調等々、特に5枚目のアルバム以降は様々な音楽を意図的に取り入れた。(正確には、あらゆる音楽を自分流に作曲・演奏できた。)

4枚目のアルバム収録の「天国への階段 (STAIRWAY TO HEAVEN)」は、かのカラヤンに、「私がこの曲をアレンジしたとしても、全く同様になったことであろう」と言わしめたロックの名曲であり、近年での再結成時においても、最低生き残ったメンバーの3名がそろった時にしか(歌入りで)完奏されない、彼らのシンボル的曲となった。

ライヴツアーの行われた年は、1968年1969年1970年1971年(日本初来日)、1972年(日本二度目で、本バンドとしては最後の来日)、1973年(前年から兆候はあったが、この年にロバート・プラントの喉が完全に支障をきたしてしまい、往年の歌い方も不可能になってしまう)、1975年1977年(若干、ボーカルのコンディションが回復)、1979年(4回のみ)、1980年(この年のヨーロッパ・ツアーが最終となる。この後、アメリカツアーを予定するが、次段落の理由によりキャンセルとなり、オリジナルメンバーでの活動は終了してしまう。

1980年、ドラマーのジョン・ボーナムの死によって正式に解散。過剰飲酒ではあったが、直接の死因は不明。ドラムのグルーブ感やノリに特徴があり、彼のバンドサウンドへの貢献度も高かったため、何名かが名乗りを上げ、バンドでも人選について議論されたが、「彼なしでのバンド継続は無理」と判断されたもの。

しかしながら、1985年のライヴエイドより、残りの元メンバー3人が集まった時のみ(1988年からは、故ジョン・ボーナムの息子であるジェイソン・ボーナムがドラマーとして参加し)、「LED ZEPPELIN」名義のステージパフォーマンスが、その後何度か節目に行われてきた。現在は「ロックの殿堂入り」。

彼らに対してに限ったことではないが、パンクロックやニューウェーブが全盛期だった当バンド活動後期には「オールドウェーブ」と揶揄するものもいたが、1980年代中期前後以降、当時の黒人音楽、特にラップやヒップホップなどにおいて彼らの独自のビートやリズムなどが再評価されるという現象も起きた。それと並行して、ギターフレーズやアレンジのアイディアやエッセンスだけをコピーしだした(フィーリングまでのコピーは困難であった為と思われる)ハードロックバンドも、出現した。

当然、残りの3名も現役で断続的に活動中で、「ジミー・ペイジと、元フリーやバッド・カンパニーのボーカリストであったポール・ロジャースが組み、『お互いのソロアルバムでの曲を除く、レッド・ツェッペリンの曲はもちろんのこと、フリー、もしくは、バッド・カンパニーの曲は一切演奏しない』というコンセプトの上で、新ヒット曲も出た結果、2枚目のアルバムリリースとツアーも行う結果となった、『ザ・ファーム』」、「ディープ・パープル(第三期、第四期)やホワイト・スネークのボーカリストでもあるデビッド・カヴァーデルとペイジが組んで、お互いのファンを驚かせる結果となった『カヴァーデル・ペイジ(記述によっては、「カバーデイル・ペイジ)』(ハードロックやヘビーメタルのファンの間でも、日米英問わず概ね好評であったが、1枚のアルバムと日本ツアーだけで、一方的にペイジの方から解散し、次のプロジェクトへ移行する。)」、「そのペイジの行動を見て奮起したのか、ロバート・プラントの方からペイジと合流する形で結成した『ペイジ・プラント』(当初の思惑とは異なり、その後のステージでは結局、『天国への階段』を除くツェッペリンのナンバーだけを演奏することとなってしまう。)」など、各メンバーのソロ活動の中でも、ロックを語る上で無視できない動きも多々ある。

Table of contents
1 由来
2 メンバーと主な楽器
3 ディスコグラフィ

由来

「Led Zeppelin」というバンドネームは、第一次世界大戦時、ドイツ軍が使用した硬式飛行船であるツェッペリン型飛行船が由来。始めは「Lead Zeppelin」だったが、ジミー・ペイジが「a]を抜きLedとしたとされる。名称についてはツェッペリン型飛行船の項も参照のこと。 初期の彼らのアルバムジャケットにも、デザインされている。

直接このバンド名をつけるに至った経緯は、ザ・フーのドラマー、キース・ムーンがジミー・ペイジの前でバンドのコンセプトを伝えた際の「~レッド・バルーン」という語句の部分を、当のペイジが拝借し、前段落のとおり名付けたものである。しかし、実情は、それ以前に同じくザ・フーのベーシストであるジョン・エントウィッスル自身のアイディアをキースに説明したものであった。

メンバーと主な楽器

ディスコグラフィ

LED ZEPPELIN(Atlantic / Polydor 588171) LED ZEPPELIN II(Atlantic / Polydor 588198) LED ZEPPELIN III(Atlantic / Polydor 2401002) (Atlantic / Polydor 2401-OZ-2) (俗名「フォー・シンボルズ」。) HOUSES OF THE HOLY(Atlantic K50014) PHYSICAL GRAFFITI(Swan Song SSK89400) (レコード、CD共に2枚組。新録音曲がアルバム1枚分あったが、サード・アルバムから前作アルバムまでの録音曲を足して2枚組にしたもの。「イメージが合わない」との理由ではずされた前作アルバムのタイトル曲もここに収録。) PRESENCE(Swan Song SSK59402) THE SONG REMAINS THE SAME(Swan Song SSK89402) (1973年の全米ツアー最終の3日間、ニュー・ヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで録音されたライヴ音源を元に作られた映画のサウンドトラック。よって、ギターやボーカルなどの「オーバーダビング」や「音の差し替え」、「3日間でのテイクのミックス」などの後処理がなされているので、正式なライヴ音源とはいい難い。映像版とは一部曲目が異なっている。) IN THROUGH THE OUT DOOR(Swan Song SSK59410) (アナログ盤のアルバムジャケットは6種類あり、紙袋から出すまでどのジャケットか分からない仕組みであった。内袋は水に濡らすと着色する。ジョン・ボーナムの生前にリリースされたという意味での、実質上のラストアルバム。) CODA(Swan Song A0051) (結果的には「ボーナムに対する追悼盤」の形になってしまったが、セカンド・アルバムから前作アルバムのころまでの曲を集めたもの。)

BBC Sessions(Atlantic 830612) (1971年のBBCでの公開録音ライヴ。CD2枚組。これまで各国のFMラジオ局で盛んにオンエアーされたために、多くの海賊盤が出回ったこともあり、そういった対策も兼ねている。しかし、完全盤ではなく1曲のみはずされている。) HOW THE WEST WAS WON(Atlantic ) (3枚組。1972年アメリカツアーでのLAフォーラム、ロングビーチなどでのライヴを収録。当時のステージでの典型的な演奏曲目はほぼ網羅されているが、曲順は入れ替えられている。)




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