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ヤーセル・アラファート(ياسر عرفات, Yāser 'Arafāt, 1929年8月27日 - )は、パレスチナ解放運動家で、パレスチナ解放機構(PLO)議長、パレスチナ自治政府元首(彼の自治政府における役職「President」は日本語では「議長」と呼ばれるが、アラビア語ではra'isといい、ニュアンスは「大統領」に近い)。アブー・アンマルのゲリラ名を持つ。
長らくイスラエルに対するゲリラの指導者として活躍したが、1993年、イスラエルとの歴史的な和平協定を果たす。これによって1994年にノーベル平和賞を受賞した。
裕福な商家の息子としてカイロに生まれた(エルサレム生まれという説もある)。エルサレムのアラブ系スンナ派ムスリムの名門フセイニー家の一員で、本名をムハンマド・アブドゥッラウフ・アル=クドゥワ・アル=フセイニーと言う。少年時代をカイロとエルサレムで送った後、カイロ大学で工学を学んだ。学生時代にはパレスチナ学生連合に所属し、1952年から1956年まで議長として活躍した。
1956年、スエズ危機が起こると軍に入り、第二次中東戦争にエジプト軍工兵大尉として従軍。戦後はクウェートで技師として働きながらパレスチナ解放運動を続け、後のPLO主流派となるファタハを結成。1963年にシリアに迎えられ、イスラエルに対する武装闘争に入ってファタハをパレスチナ解放運動の主流勢力に成長させた。
1969年、パレスチナ解放機構が結成されるとその議長に就任し、パレスチナ解放運動の指導者に立つ。1970年代にはレバノンに移って武装闘争を続けるが、1982年のレバノン戦争(イスラエル軍のレバノン侵攻)の結果ベイルートを追放され、武装闘争の根拠地を失って政治生命を実質上絶たれた。
その後、イスラエルとの対話路線に転じて穏健派の指導者として復活を図り、1993年和平を成立させてイスラエルのイツハク・ラビンと会見した。翌1994年、和平協定に基づいてパレスチナ自治政府が設立されるとパレスチナに戻り、1996年1月の選挙でその元首に選出された。
経歴