|
|
ランス・アームストロング
ランス・アームストロング( Lance Armstrong )(1971年9月18日生)は、アメリカ合衆国のサイクリストで、睾丸癌の闘病の後、ツール・ド・フランスでは5年連続優勝(1999年から2003年)を達成。彼の他に5勝した者は、ジャック・アンティクル、エディ・メルクス、ベルナール・イノー、ミゲル・インデュラインだけである。その中ではインデュラインだけが5連勝を達成している。
アームストロングはテキサス州プラノ(Plano, Texas)で生れ、母、リンダに育てられ、その母の自立の精神はアームストロングが強く影響を受けたと、彼はしばしば言及している。アームストロングの運動選手としての人生はトライアスロン選手として始まった。16歳の時から自分より年長者の競技で戦っていた。やがて、自転車競技での彼の健脚に最大の天性が宿っている事が明らかになった。
アマチュアのサイクリストとして1991年のアメリカ合衆国チャンピオンとなり、1992年オリンピックでの14回目のロードレースを最後に、1992年にプロ選手に転向。次の年、ノルウェーのオスロで行われた世界選手権で単独優勝し、これが彼の最初の大試合での勝利の記録となった。
彼はモトローラ・チーム(USA)に所属し、1995年のツール・ド・フランスでのステージ優勝1度と数度のクラシック・ワンデー・レースでの勝利で、彼の成功は続いた。その年、合衆国で最も歴史ある自転車競技、ツール・デュポンで1994年に準優勝し、再度挑戦した1996年には優勝を果たした。しかし、1996年にツールを棄権したが、その理由は、睾丸癌に侵されておりそれが既に転移していた事が報道された。彼は50%の生存のチャンスと宣告されましたが、インディアナ大学医学部での一連の過酷な科学療法と脳の浸潤部の切除後、どうにか回復した。小康状態となり、トレーニングを再開したが、彼の所属していたチームのコフィディスから、予想されたことではあったが、事務的に解雇された。結局彼は新規に結成されたUSポスタル・サービス・チームと1998年に契約し、自転車界に成功裏に戻ることが出来る様になった。
彼が真に復帰したと言えるのは1999年、ツール・ド・フランスで最初の勝利を得たときである。そしてその後の4年間にわたる連続優勝の業績を成し遂げることになった。アームストロングは、タイムトライアル選手としても、また、山岳スペシャリストとしても、彼の素晴らしい能力により、殆ど無敵である事を証明した。彼はツールに向けてスペインでのトレーニングを積み、ツール・ド・フランスで成績を示してきた。ランス・アームストロングが専らツールの為だけに訓練できるという事が、ライバル達に勝る大きな優位性となっている。アームストロングのその年のツールでの成功は、彼のツールでの働きによってのみ決まるが、他の選手達は生活の糧を得るために多くの競技に出場しなければならず、それがツールに備えるライバル達の体力を消耗させている事になる。アームストロングは非常に低いギアを使いペダルの回転を早くする走法で、主なライバル達を急加速で引き離してしまう事が出来るが、ライバル達は、低い回転数で巨大なギアに力をかけるインデュラインと違い、上り坂で高いギアを使ってペダルはよりゆっくりと回転させてる。アームストロングはツールのもっとも険しい登りでさえも信じられない速度を維持でき、時には山岳スペシャリストさえも一定して彼に付いて行く事が出来ない。
だが、最も有能な山岳スペシャリストと違って、アームストロングは個人タイム・トライアルでは非凡でもあり、ライバル選手ヤン・ウルリッヒのように肉体的に、よりふさわしい訓練を受けてきた人達に比べて、勝るとは言わないまでも、殆ど同列である。また、ツールの過去の多くの優勝者と違いアームストロングは山岳ステージで非常に攻撃的で、リードする事が好きで、壮観なアタックをみせる。こうしたアタックは通常各ステージの終盤に見られるが、彼はライバル達を大きく引き離す事ができ、山の遥か麓の戦場にライバル達を散らして置き去りにしてしまう。
だが、彼の5度目のツール優勝で、アームストロングは以前よりも一層、緻密に計算する必要のある走行を強いられた。周辺のライバル達によるすべてのアタックには対応出来なかったが、その代わり第1のライバルであるヤン・ウルリッヒに注意を集中していた。これにより、レース途中のウルリッヒのセンセーショナルな個人タイム・トライアルと共に、ここ数年で最も直近の興奮させられるツールになった。アームストロングは、最終山岳ステージで相手に打撃となるアタックで決定的なタイムを稼いだ後、ウルリッヒが転倒した滑りやすい濡れた路面と風の吹く最終一つ前のステージでアームストロングは自分の優位を落ち着いて保ちながら、結局、ウルリッヒを丁度1分上回ることで打ち負かした。
2002年には、スポーツ・イラストレイテッド・マガジン社は《今年のスポーツ選手》にアームストロングを指名した。
アームストロングは疑いなく、最も偉大な自転車選手の一人であり、過去数年闘病で苦しめられた事を考慮すると彼の業績は一層顕著なものである。2003年7月27日の彼の5度目のツール・ド・フランス優勝(多くの人々はこれが彼のベストの業績であると信じているが、)優勝の後、彼は2004年も戦いに戻ってくる事を約束した。
アームストロングはの癌からの驚嘆すべき復帰の少し後に彼の妻との間に、男の子を、そして、2年後双子の女児を授かった。然しながら、夫妻は、5年間の結婚生活の後、最近離婚した。
《補足》睾丸癌の為凍結保存精子を使用した。
ランス・アームストロングの著作
書名 「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」
出版 株式会社講談社 訳 安次嶺佳子 2000年8月25日初版
原本 「It’s not about the Bike」
米国で「バイク」は自転車。
外部リンク
ランス・アームストロング オフィシャルサイト
http://www.lancearmstrong.com