Guajara in other languages: Spanish, Deutsch, English, French, Italian ...



アフマド・シャー・マスード

アフマド・シャー・マスードAhmed Shah Massoud, 1953年 - 2001年9月9日ダリー語احمد شاه مسعود (Ahmad Shāh Mas'ūd), アフマド・シャー・マスウード)は、アフガニスタンムジャーヒディーン司令官で、北部同盟の軍部指導者の一人であった。タジク人

軍人の家庭に生まれる。ブルハーヌッディーン・ラッバーニーがイスラム主義を掲げる政党「イスラム協会」を設立するとそのメンバーとなり、以後も一貫してラッバーニー派として活動する。ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻後、一時パキスタンに亡命するが、帰国してパンジシール渓谷に本拠地を築いて反ソ連軍ゲリラの司令官となり、「パンジシールの獅子」として恐れられた。

1992年にムジャーヒディーン勢力が首都カブールを占領し、ラッバーニー政権が誕生すると、そのもとで国防大臣を勤めた。その後、ラッバーニー政権が崩壊しターリバーンが勢力を拡大すると、ターリバーンに対抗する勢力が結集した北部同盟の軍事司令官となった。ターリバーンがアフガニスタンを支配すると、北部同盟の勢力圏はアフガニスタン北部山岳地帯に限られたが、領土としてはアフガニスタンの約10%、人口としては30%程度を掌握していた。

2001年9月9日自爆テロによって暗殺された。2001年9月9日といえば、アメリカ同時多発テロ事件の二日前であり、多くの人が二つのテロの関連性を疑っている。日本国内でも9月11日朝の時点で暗殺死亡説が報道され、アフガニスタンの政情の流動化を案じる者が居たが、同日のアメリカ同時多発テロ事件は誰しも予測していなかったに違いない。暗殺者はアラブ系の二人で、モロッコ出身のベルギー人とされたが、後に旅券は盗まれたものであることが判明。北部同盟の主要メンバーを狙ってジャーナリストを装っていたとされている。実際の攻撃は、暗殺者の一人が持っていたビデオカメラかベルトかに隠していた爆弾を爆発させたものとみられる。 9月13日まで、死亡説は公には否定され続けていたがおそらく攻撃から30分以内に死んだと推測されている。暗殺者の一人は爆発によって死亡し、一人は逃亡中に射殺された。

フランスの諜報機関が2003年10月16日に明らかにしたところによると、マスード暗殺に使われたカメラは、2000年12月フランスグルノーブルでクリスマスのショーウィンドーを撮影中の写真ジャーナリストのJean-Pierre Vincendetから盗まれたもの。FBIとフランス諜報機関はカメラの製造番号を追跡し、同一のカメラであることを確認したとされる。

アフガニスタン暫定政権発足式典では、壇上に大きな遺影が掲げられた。





Wikipedia - All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.

Tagoror dot com  -  Legal Information  -  Contact us