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アンドレイ・タルコフスキー(Андрей Арсеньевич Тарковский,英Andrei Arsenyevich Tarkovsky 1932年4月4日 - 1986年12月28日)は、旧ソ連の映画監督。
1932年4月4日ヴォルガ流域のイワノヴォ地区、ユリエヴェツの近郊ザブラジェで生れる。父は詩人のアルセニー・タルコフスキー。しかし父親は早くから家庭を捨てて暮らすようになっていたため、主に母親に育てられる。1954年、全ロシア国立映画大学に入学し、ミハイル・ロンムの下で映画を学ぶ。その後中編「ローラーとバイオリン」長編「僕の村は戦場だった」を監督し高い評価を得るが、続く1967年に監督した「アンドレイ・ルブリョフ」の歴史解釈を巡ってソ連当局の激しい批判を浴び、5年もの間上映を禁止される。そしてその後いくつもの映画の企画を当局に提出するもまったく相手にされず、なんとか「惑星ソラリス」「鏡」「ストーカー」を過酷な状況の下で撮影するが、本国ではほとんどまともに上映されない状態が続く。しかし、逆に映画祭への出品を通じての国際的な名声は高まる一方だった。
当局のあつかいにたまりかねたタルコフスキーは、イタリアでフェデリコ・フェリーニの映画に脚本として関わっていたトニーノ・グェッラを起用して「ノスタルジア」を撮影終了した直後の1984年に、ソ連からの亡命を宣言。続いてスウェーデンで主にイングマール・ベルイマンの映画に携わっていたスタッフを大々的に起用して「サクリファイス」を監督。しかし撮影終了前後に癌に冒されていることが発覚し、そのまま入院。新たにソ連に就任したミハイル・ゴルバチョフ書記長が公式に名誉回復を宣言するも、時すでに遅く1986年12月28日にパリで客死。
主に「世界の救済」をテーマに、犬や水や馬や火などを象徴的に配して独自の映像美を追求した寡黙な作品群は、全世界に熱狂的なファンを持つことで知られる。