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プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)は、イギリスで王子に与えられる称号のひとつで、本来はウェールズの君主、「ウェールズ大公」を意味する。14世紀以来、次期国王として王位を継承するべきイングランド国王、のちにはグレートブリテン国王の最年長の王子がこの称号を帯び、現在はエリザベス2世女王の長男チャールズがプリンス・オブ・ウェールズである。
日本では、この称号を帯びる次期国王のことを英国皇太子と呼ぶ慣習なので、プリンス・オブ・ウェールズを「皇太子」と訳すことが多い。なお、「ウェールズ皇太子」と訳すこともあるが、プリンス・オブ・ウェールズはウェールズ公国の次期君主ではなく現君主であるから誤解を招きかねず、誤訳と言ってよい(詳細は後述)。
プリンス・オブ・ウェールズは、「殿下」(His Royal Highness)の尊称で呼ばれ、夫人は、プリンセス・オブ・ウェールズ(ウェールズ大公妃あるいは皇太子妃)の称号を帯びる。
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2 プリンス・オブ・ウェールズの一覧 3 関連項目 |
もともとプリンス・オブ・ウェールズの称号は、グウィネズ地方のウェールズ人支配者(公)、ルウェリン・ザ・ラストことルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズ全域の諸侯に支配力を及ぼして全ウェールズの君主を意味するウェールズ大公(英語でプリンス・オブ・ウェールズ)と称したことに始まる。この場合のプリンスは王子ではなく、主権を持った一国家の君主、すなわち「公」あるいは「大公」のことである。1267年にウェールズ諸侯の名目上の主君であるイングランド王ヘンリー3世はルウェリンをウェールズ大公として承認し、ここに現在に至るウェールズの国家形態、ウェールズ公国(Principality of Wales)が成立した。
しかし、ヘンリー3世を継いだイングランド王エドワード1世は、ルウェリンと対立。1282年 - 1283年のウェールズ侵攻で、ルウェリンを敗死に追い込み、ルウェリンの弟デイヴィッドを処刑してウェールズ大公一家を滅ぼした。ルウェリンのつくったウェールズ大公の黄金の冠をイングランドに持ち去ってウェストミンスター教会に安置すると、ウェールズ公国をイングランド王の所領に定め、グウィネズを始めとするウェールズ諸侯領を奪ってウェールズ公国直轄領とした。王宮所在地はグウィネズのカーナーヴォンに定められるが、1284年、ここでエドワード1世の王子エドワード(のちの2世)が生まれる。
1301年、エドワード1世はウェールズ人の反乱を抑えるため、王子エドワード(2世)にウェールズ大公(プリンス・オブ・ウェールズ)の称号を授けてウェールズの名目上の君主とする。ウェールズ生まれのエドワード2世はウェールズ人には支配者として受け入れやすかったためである。のちにエドワード2世の子エドワード3世は1343年、自身の長男で第一王位継承者のエドワードにプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え、エドワードがイングランド王を継ぐ前に死去するとプリンス・オブ・ウェールズはその長男の次期国王リチャード(2世)に譲られる。これ以降イングランド次期国王がプリンス・オブ・ウェールズとなる慣例が定着していった。
起源
プリンス・オブ・ウェールズの一覧
関連項目