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彼の言葉、'Boys Be Ambitious'(青年よ、大志をいだけ)は、よく知られている。これは、札幌農学校1期生との別れの際に、クラークが発したものとされている。しかし、この文章は、クラークの離日後しばらくは記録したものがおらず、後世の創作によるものだと考えられた時代があった。1期生の大島正健による離別を描いた漢詩に、「青年奮起立功名」とあることから、これを逆翻訳したものとも言われた。
しかし、大島が札幌農学校創立15周年記念式典で行った講演内容を、安東幾三郎が記録。安東が当時札幌にいた他の1期生に確認の上、この英文をクラークの言葉として、1895年ごろに同窓会誌に発表していたことが判明した。安東によれば、全文は'Boys, be ambitious like this old man'である。このまま訳すと、「自分のような老人でさえも希望を持っているのだから、あなたたち若い人も希望を持ち続けなさい」というような意味になる。安東の発表の後、大島自身が内村鑑三編集の雑誌Japan Christian Intelligencer, Vol.1,No.2でのクラークについての記述で、全く同じ文章を使ったことも判明した。
ただし、前段の'Boys be ambitious'は、クラークの創作ではなく、当時、出身地のニューイングランド地方でよく使われた言い回しだったという主張もある。
'Boys ,be ambitious in Christ ! '(または in God !)と言ったという説があるが、これについて言及した1期生はおらず、キリスト教徒による創作とされる。
略歴
アマースト大学卒。
米マサチューセッツ農科大学初代学長。
任期中に日本政府の熱烈な要請を受けて、1876年(明治9年)7月に札幌農学校に赴任する。マサチューセッツ農科大学の休暇を利用して訪日という形をとった。
8ヶ月の札幌滞在の後、翌年の1877年5月に離日した。
宗教家としても知られ、札幌市内には彼の名を冠した教会もある。
帰国後は学長をやめ、新規大学の開学を企画するが失敗。その後、知人とともに鉱山会社を設立するが、会社は破産。出資者から詐欺罪で告訴され、判決が出る前にこの世を去った。
参考
北大構内と羊ヶ丘展望台に、クラーク博士像がある。一般には羊ヶ丘展望台のものが有名。