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フェリックス・メンデルスゾーン

フェリックス・メンデルスゾーン(Jacob Ludwig Felix Mendelssohn-Bartholdy、1809年2月3日 - 1847年11月4日)は、ドイツ作曲家。モーツァルトと並ぶほどの早熟の天才児であった。38年の短い生涯としては多作である。

富裕な銀行家アブラハムの息子としてハンブルクに生れた。祖父モーゼス・メンデルスゾーンは有名なユダヤ人哲学者であった。フェリックスの家族はキリスト教に改宗し1812年ベルリンに転居した。姉のファニー・メンデルスゾーン(後の名ファニー・ヘンゼル)はよく知られたピアニストでアマチュアの作曲家であった。
6歳の時に、母からピアノを学び、8歳の時1817年に、父親がパリに赴いた時同行して、合唱団ジングアカデミーの指揮者マリー・ビゴーのレッスンを受けている。子供の頃から、音楽に限らずフェリクス少年の才能をみてもらい伸ばそうという、親の配慮が常にみられた。この年からベルリンでカール・フリードリヒ・ツェルターに作曲を学ぶ。

1821年(12歳) ツェルターの紹介でワイマールに住む72歳のゲーテを訪問して2週間ほど滞在。
1823年(14歳) 大バッハマタイ受難曲の写筆スコアを母方の祖母よりクリスマス・プレゼントで贈られる。
1825年(16歳) 父と共にパリに行き、パリ音楽院の院長ルイジ・ケルビーニや、ロッシーニ、マイヤベーヤの知遇を得た。
1826年(17歳) シェイクスピアの《真夏の夜の夢》序曲を作曲。

1829年(20歳) 3月11日メンデルスゾーンの監督によりマタイ受難曲を作曲者の死後初めて公開演奏を行う。会場はベルリン・ジングアカデミーのホールでメンデルスゾーンはピアノでの通奏低音を担当しながら指揮をした。この日はニコロ・パガニーニのベルリンでの初リサイタルと重なっていたが会場には入りきれない人が千人もでたと言う。公演は大成功で、更に10日後の3月21日バッハの誕生日に第二回目の演奏会を行った。作品の素晴らしさを印象づける事を意図した為に大胆な削除も行い、テンポや強弱の変化を駆使している。演奏会場には、ベートーヴェンが第9交響曲を献呈した国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世や哲学者ヘーゲル、思想家シュライアーマッハー、詩人ハイネらがいた。

1835年(26歳) ライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者となる。
1841年(32歳) プロシア王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世に招かれベルリンの宮廷礼拝堂楽長。
1843年(34歳) 自ら奔走して設立資金を集めライプツィヒ音楽院を開校し、院長となる。作曲とピアノはロベルト・シューマンが招聘された。
1847年(38歳) 5月訪英の途上姉ファニーの死の報に接し悲嘆の余り神経障害を起こす。一時回復したが11月3日には意識を失い翌日没した。

1892年 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス前に記念像が建造されたが、1933年ナチス政府がメンデスルゾーンの音楽を、ユダヤ人の音楽の筆頭にあげ、演奏禁止にすると共に記念像を破壊した。

作品

交響曲4曲、ヴァイオリン協奏曲、弦楽八重奏曲、オラトリオ「エリア」など多数。

作品については、かなり膨大な、それも多岐にわたる作品があり、別項目にしたほうが良いと思うが。





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