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修道名によりニコライ・カサートキンと呼ぶのが通例である。日本ではニコライ堂のニコライとして親しまれた。神学生の時分、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、日本での伝道に駆り立てられたニコライは、その生涯を日本伝道に捧げた。
スモレンスク県ベリスク郡ベリスク村の教区補祭、ドミトリイ・カサートキンの息子として生まれる。母は五歳のときに死亡。 ベリスク神学校初等科を卒業後、スモレンスク神学セミナリー(中等部)を経て、 サンクトペテルブルク神学アカデミーに1857年入学。 在学中の1860年7月7日(ロシア暦)修士宣誓し修道士ニコライとなる。同年7月12日(ロシア暦)聖使徒ペトル・パウェル祭の日、修道補祭に按手され、翌日神学校付属礼拝堂聖十二使徒教会記念の日に修道司祭に按手される。
在学中、在日本ロシア領事館附属礼拝堂司祭募集を知り、日本での伝道に駆り立てられたニコライは、志願してその任についた。1861年に函館ロシア領事館附属礼拝堂司祭として着任。以後精力的に正教の布教に努めた。函館ですでに日本人信徒を獲得したのち、典礼書および聖書(新約全巻・旧約の一部)の翻訳・伝道を行い、来日以後、ほとんど日本を離れることなく神田で没した。死後都営谷中墓地に葬られる。1970年谷中墓地改修の折、棺を開けると不朽体が現れた。同年ロシア正教会はニコライを「日本の亜使徒・大主教・ニコライ」、日本の守護聖人として列聖した。日本教会が聖自治教会となったのはこのときである。
日記(ロシア語)が北海道大学スラブ研究所に保存されており、将来の伝記的研究が待たれる。
現在は日本の亜使徒聖ニコライ、聖ニコライ大主教と呼ばれる。 記憶日(祭日)は2月16日(ニコライ祭)。