1923年にリヤドで生まれる。1953年文相、1962年内相に就任。その後は石油・投資諮問会議や高等教育諮問会議の議長を務め、ファイサル国王の右腕としてサウジアラビア近代化に貢献。1975年には皇太子・第1副首相となり、病弱なハリド国王を補佐して内政・外交両面で政治手腕を発揮。1982年6月12日、ハリド国王死去に伴いサウジアラビア王国第5代国王に即位。親米・穏健路線の主導者。1995年に脳卒中で倒れるなど、健康不安が続く。