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なお、モード写真という用語もあるが、これは、ここでいうファッション写真だけではなく、広告や雑誌に用いることを全く想定していないファッション(服・服飾品)の写真、例えば、着飾った上流階級の婦人をスナップ的に撮影した写真(ジャック=アンリ・ラルティーグ(Jacques-Henri Lartigue; 1894-1986)などの作品)なども含む。
ファッション写真は、写真の他の分野と比べても、歴史的に成立が遅く、ほとんど20世紀に入って成立したと言われる。これは、ファッション写真の場合、報道写真と同様に、複製され印刷情報媒体に乗ることが大前提となっており、その当初の媒体である「ファッション雑誌」が普及したのが、20世紀に入ってからである、ということに深く関係している。
ファッション写真を掲載した20世紀前半の雑誌としては、ヴォーグ(VOGUE,アメリカ版は、1893年創刊。当初は、ゴシップ誌のようなものであったが、Conde Nast Publications, Incに1909年に買収された後、ファッション雑誌と方向転換をする。イギリス版は1916年創刊、フランス版は1922年創刊)とハーパース・バザー(HARPER’S BAZAAR, 1867年Harper & Brothers 社が創刊(創刊時のタイトルはHARPER’S BAZAR。1929年に現在のつづりとなる) 。1913年に、Hearest Corporation (William Randolph Hearest)が買収した後、誌面が刷新された)の2誌が双璧である。
この2誌からは、極めて多くのファッション写真が発信され、この2誌を「出身」とする写真家も多い。特に有名なのは、ハーパース・バザーにおいては、1930年代半ばから1950年代末にかけて、編集者カーメル・スノー(Carmel Snow)、そして、スノーが登用したアート・ディレクターアレクセイ・ブロドヴィッチ(Alexey Brodovitch; 1898-1971)の2人コンビが築き上げたいわば「黄金時代」、一方のヴォーグにおいては、これに対抗するかのようにアレクサンダー・リーバーマン(Alexander Lieberman (Alexander Liberman); 1912-1999)がアート・ディレクターを務めた1940年代・1950年代であろう。 なお、ファッション写真は、一応の地位を確立したと思われる1920年代、1930年代あたりでもなお、いわば「新参者」の分野として、例えば、報道写真よりも1段低いものと考えられていた節がある。その当時、そう考えていた人々が、現在のファッション写真の興隆・隆盛、またその自由さやステイタスを見たとしたら、大いに驚くであろう。
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2 日本語の主要参考文献 |
なお、この2人といえども、このスタイルに安住してその後変化を怠っている、という訳ではなく、後進の動きを取り入れつつ、自分たちが完成させたスタイルを乗り越えて、大きく変化させて行く事に成功している。
なお、このような動きは、同時期にノーマン・パーキンソン (Norman Parkinson; born 1913)(ハーパース・バザー)も採用しており、戦後のファッション写真に向かう大きな動きが、この1930年代に始まったといえる。
また、この時期にもう1つ指摘しておかねばならないのは、ファッション写真にシュルレアリスム的な感性の流入があったということである(ヴォーグよりも、ハーパース・バザーの方が傾向として強い)。
マン・レイ (MAN RAY ; 1890-1976)、アーウィン・ブルーメンフェルド (Erwin Blumenfeld; 1897-1969)、アンドレ・ダースト (André Durst; 1907-1949)といった作家による、シュルレアリスム的美学(ピクトリアリスムとはまた違った幻想性・耽美性)を持った作品が、ファッション雑誌に掲載され(むしろファッション雑誌が積極的に採用し)、その感覚も、以降のあらゆるファッション写真に取り込まれていくことになる。
多様な感性が流入してくるとともに、演出性が増していき、ストーリー性にもつながっていくのがこの時代の特徴である。写真だけを独立させてとらえにくくなる、別の言葉でいえば、アート・ディレクション(デザイン)と強く関係してきて、それと切り離せなくなるのである。総論で述べた、アート・ディレクターの活躍と深い関係があり、アート・ディレクター主導といっていい作品も増えてくる。女性作家が大きく活躍し始めるのも、この時期である。
この時期を代表する具体的な作家としては、
1960年代あたりまでのファッション写真の大まかな歴史
草創期
最初期においては、アドルフ・ド・メイヤー (Adolf de Meyer; 1868-1946)(ヴォーグの最初の専属写真家)とエドワード・スタイケン (Edward Steichen; 1879-1973)(ヴォーグ)が、ピクトリアリスム的な手法(ソフトフォーカスなど)で、スタジオにおいて、いわば耽美的・幻想的かつ優雅なファッション写真を撮影している。成熟期
これを受けて、セシル・ビートン (Cecil Beaton; 1904-1980)(イギリス版ヴォーグ)とホルスト・P・ホルスト (Horst P. Horst; 1906-1999)(フランス版ヴォーグ)は、ピクトリアリスムを捨て、シャープな視線で、モデルの撮影を続け、競い合うようにして、スタジオにおけるファッション写真の質を、著しく高めた。この結果、1920年代後半から1930年代にかけて、スタジオにおけるファッション写真は、一応の完成をみたといえるだろう。いわば、最高のモデルを、最高の撮影条件(スタジオ・ライティングなど)のもとで、撮影するというスタイルである。
これ以降は、この完成したスタイルをどう壊し、どう変化させて、新しいものを作っていくか、という歴史となる。解放期
スタジオ・ファッション写真の完成と並行して、戦後へと続いていく、大きな動きが始まっていた。
1920年代後半には、ジョージ・ホイニンゲン=ヒューン (George Hoyningen-Huene; 1900-1968)(ヴォーグのちハーパース・バザー)が、屋外に出て撮影したり、複数のモデルを1枚の作品に用いるといった、今まででは考えにくい、手法を用い始めた。
さらに、1930年代に入ると、ジャーナリズム出身(報道写真出身)のマーティン・ムンカッチ (Martin Munkacsi; 1896-1963)(ハーパース・バザー)が登場し、ホイニンゲン=ヒューンの手法に加えて、タブーともいえる、動きとモデルの自然な表情をとりいれた。例えば、「笑いながら走る女性」という、現在では何の変哲もないが、当時で言えば革命的ともいえる写真である。これにより、以前は、動きも表情もない(または凍りついたような笑いの)正にマネキンのようだったモデルが、その呪縛から解放されることになる。演出期
1930年代後半から1940年代にかけて、スタジオ的感覚も、屋外的感覚も、消化の上、すべて取り入れ、ぎこちなさもなく、自由に扱うことができるような時代が到来しつつあった。
などが有名である。