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ウィキペディア日本語版は、ウィキペディアの日本語版であり、日本語により記事が執筆される。
2004年2月25日現在のページ数は約57189ページ、記事としては現在、150000項目保有している。
歴史
発足当時
英語をベースに始まったウィキペディアが多言語化に乗り出したのは2001年の5月頃であると思われる。当時の発表12前後の非英語版サイトが発足した。日本語はこのひとつであった可能性が高い。class="external">[1
発足当初のウェブ・アドレスは http://ja.wikipedia.com/ と http://nihongo.wikipedia.com が使われていた形跡がある。
当初のメインページはirrashaimase! で始まる全文ローマ字だった。(当時のメインページのミラーは http://web.archive.org/web/20010606094556/http://ja.wikipedia.com/ に残されている。) 残されている履歴情報[1] から、3月から4月にかけて既に数度の編集を経ていることがわかる。このため、英語版内部などで開発された可能性も考えられる。
最初の記事はNihongo No Funimekusuと題されたもので、日本語の音素がかなと必ずしも一対一対応の関係にないことを示した記事だが、これもローマ字で書かれていた。投稿者はRoseParks(英語版の初期メンバーの一人)で、投稿時期は4月初め頃の間、つまりサイトがテスト段階にある頃と思われる。(この記事のミラーが http://web.archive.org/web/20010610150244/ja.wikipedia.com/wiki.cgi?Nihongo_No_Funimekusu に保存されている。履歴情報は、 http://web.archive.org/web/20010512220555/nihongo.wikipedia.com/wiki.cgi?action=history&id=Nihongo_no_funimekusu で見ることができる。)
12月下旬時点での総ページ数は、2ページに留まった。
2002年9月1日にソフトウェアの変更があり、旧バージョンからファイルの移動が始まる。この時期のファイルは現在の日本語版の履歴からも遡れる。国の一覧エスペラントの最古版などから見て取れるように、日本語のネイティブスピーカーではない利用者の投稿による記事も多かった。主な分野は日本文化、言語、世界地理、プログラミング関連。
同月の内にインターフェースの日本語訳が始まり、年末の時点でWikipedia:編集の仕方(正確にはその前身にあたるWikipedia:How does one edit a page)やGNU_FDLが訳される。
12月中旬の時点で登録ユーザー数は10人程度、総記事数は10件程度。
これを境に多数の参加者を迎え、Wikipedia:名前空間Wikipedia:新規参加者の方、ようこそWikipedia:基本方針とガイドラインなどプロジェクト関連の文書が本格的に翻訳または作成された。
漫画家、都道府県など、記事数が増えた。証券取引などをめぐる本格的な記事も出現した。
この結果、様々な分野の記事が増加した。主なものとして、物理学、生物学、情報工学、文学、音楽、ゲーム、漫画、タレント、などが挙げられる。
発展し、劇的な事件が起きたならば随時、歴史としてこのページに刻まれることであろう。日本語化
Wired News 日本語版の掲載
2003年1月31日、Wired News 日本語版でウィキペディアについての記事が掲載された[1]。これはウィキペディアが日本語メディアで紹介された最初の例であると思われる。1000ページの達成
2003年2月12日に日本語版ウィキペディアは1000ページを突破する。奇しくも英語版が2年前の同じ日に1000ページ突破を達成している。スラッシュドット現象
1000ページ突破を受け、スラッシュドットジャパンにウィキペディア日本語版が紹介された。
これにより、この数日後参加者は倍増することとなり、日本においてもウィキペディアでスラッシュドット現象が小さくも発生した。サーバクラッシュ
ウィキペディアのサーバが故障してしまい、4月5日18時08分から4月6日17時37分(いずれも日本時間)の間、書き込みがなかった。10000ページの達成
2003年6月15日に日本語版ウィキペディアは10000ページを突破した。1000ページから10000ページまでの増加に要した日数は4ヶ月と3日間であり、これは英語版よりも速いペースである。20000ページの達成
2003年12月7日22時30分頃に日本語版ウィキペディアは20000ページを突破した。