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アメリカ同時多発テロ事件 (September 11, 2001 Terrorist Attacks) は、2001年9月11日にアメリカで起きたテロ攻撃事件。 ハイジャックされた4機の大型ジェット旅客機が地上施設を目掛けて意図的に激突し、甚大な被害を及ぼした。犠牲者の数は約3000人とされ、テロ事件としては史上最大の被害となった。 この事件を欧米などの英語メディアでは単に「9・11」(ナイン・イレブン)、「9月11日の事件」(Events of the September 11)などと呼ぶことが多い。
| Table of contents |
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2 アメリカ政府の対応 3 国際社会の対応 4 その後 5 事件の影響 6 関連記事 7 関連リンク |
事件の概要
最も被害が大きかったのは、ニューヨークの世界貿易センタービルの北棟、南棟それぞれに対して激突した2機(アメリカン航空11便、ロサンゼルス行きのボーイング767、ユナイテッド航空のロサンゼルス行き175便)による被害である。
この激突により、ジェット燃料による爆発的火災が発生し、ついで火災の熱による鉄筋の破断で両棟ともに完全に倒壊するという大惨事にいたった。
また、ユナイテッド航空の757機は米国国防総省(ペンタゴン)ビルに意図的に激突し、ビルの一部を破壊した。ただし、これについては、飛行機の残骸が残った写真が無いことなどから、飛行機は警戒した米軍にすでに打ち落とされ、ミサイルなど何か他の物がペンタゴンに当たったのではないかとする、米軍による意図説もある。
ユナイテッド航空93便、サンフランシスコ行きも同様にハイジャックされ、キャンプ・デービッドあるいはホワイトハウスへ向かおうとしていたが、その狙いは乗客による抵抗で阻止され、ペンシルバニア州で墜落した。(米軍戦闘機による撃墜説もあるが、米国政府は公式に否定している)
アメリカ政府の対応
ブッシュ大統領は非常事態を宣言。新たなテロに備えて、州兵、予備役を動員。空港などに厳戒態勢を引いた。
そして、アメリカ政府はこのテロ攻撃がオサーマ・ビンラーディンをリーダーとするテロ組織アルカーイダによって計画・実行されたと断定、彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。
しかし、彼らを保護していたターリバーン側は拒否。これに対してアメリカはアフガニスタンに対し、攻撃を開始した。
以降の推移はアメリカのアフガニスタン侵攻を参照。
国際社会の対応
このテロに対する国際的な反発は大きかった。国連は9月12日にテロ非難決議を採択。
NATOとロシアは国際社会が結束してテロと戦うべきという共同声明を発表した。
西側世界だけではなく、サウジアラビアやインド、イランなどもアメリカを支持し、ターリバーンの後援者であったパキスタンでさえ、アメリカ支援に同意した。
その後
ブッシュ政権は、このテロ事件後のアメリカ世論の変化に合わせて、2002年に国際テロ組織とテロ支援国と断じた悪の枢軸(イラク、イラン、北朝鮮)との戦いを国家戦略とし、「アメリカの防衛のためには、予防的な措置と時には先制攻撃が必要」として推進する方針を決めた。
これをもとに、アメリカはイラクに対して大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争に踏み切った。
この行動に対しては、アフガニスタン攻撃と異なり、国際的な態度は分かれ、イギリス、スペイン、日本などのアメリカ同調国と、フランス、ドイツ、ロシア、中国などのアメリカ非同調の立場にわかれた。(詳細はイラク戦争項)
アメリカ国内の世論は急速に保守化し、ネオコン(新保守主義)勢力が政治の舞台に全面的に登場。その影響力を増大させたきっかけともなった。
一方、他の国ではアメリカの方針に対して世論が真っ二つに割れた。
親米的な意見としては、これを基に世界中の独裁国家の民主化をすすめるべきだという意見などがある。特にアメリカが悪の枢軸としたイラク、イラン、北朝鮮などは独裁者が猛威を奮っている状況で、これを解決するべきだとの声もある。(参考:イラク戦争)
反米的な意見としては、「自由の国 アメリカ」のシステムを国外に普及させることを使命とするネオコン勢力の拡大は、政府の好戦的姿勢に反対する意見を言えない雰囲気を作り出しているとする声もあり、リバータリアニズムなど反ネオコン陣営からの反発も高まっている。
事件の影響
911事件は、アメリカ政治および国際社会の大きな転換点となった。
またこの事件をきっかけに、アメリカは国連協調をなくして一国主義の時代になったり、冷戦時代の米ソ対立の構図の残滓も消え、突出した超大国一国が世界の軸を動かす時代になったとする意見もあり、これを「帝国」と表現するアントニオ・ネグリのような思想家などもいる。関連記事
関連リンク