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ハインリヒ4世はイタリアの支配をめざし、ミラノ大司教等を次々と任命していた。これらの教皇を無視した皇帝の行為をグレゴリウス7世が激しく非難したのに対してハイリンヒ4世は激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定した。これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言した。
破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハイリンヒ4世に叛旗を翻した。そこでハイリンヒ4世は、教皇から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れた。しかし、グレゴリウス7世はなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求した。ハイリンヒ4世は1月25日から3日間、雪の中で裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができた。
しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は再び激化して行った。この争いは以降約半世紀も続いた。
現代消費文化史を歴史上の出来事にむりやり置き換えて紹介していた。
カノッサの屈辱の放送終了後、その時間枠で放映された「TVブックメーカー」では、番組内で賭けるお金の単位を「カノッサの屈辱」に因んで「カノッサ」とした。