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征夷大将軍

征夷大将軍せいいたいしょうぐん)は、奈良時代から平安時代には東国に派遣された将軍の様々な呼称の一つで、鎌倉時代以降は武家の棟梁に与えられる官職である。

奈良・平安時代には、派遣する将軍に冠する呼称はそのつど異なる慣例であった。坂上田村麻呂が征夷大将軍として成功をおさめたことが、鎌倉時代に武家の棟梁の称号を定めるときに強く意識され、以後の伝統となった。征夷とは、蝦夷(えみし)を征するの意である。

源頼朝が征夷大将軍の位を得て幕府を開いてのち(鎌倉時代以降)は、武家が日本の政治を支配するようになり、それにともない征夷大将軍は武家の最高権威となった。形式的には朝廷が与える官職だが、実際の任命は、建武新政の時期を除き、実力で武家の頂点に立った者の要請によった。略称として、将軍、公方、大樹がある。

Table of contents
1 歴代の征夷大将軍
2 征夷大将軍と源頼朝
3 歴史上存在した俗説
4 関連項目

歴代の征夷大将軍

順番(幕府内) 人名 在職年 備考
1 大伴弟麻呂 793-794?
2 坂上田村麻呂 797-811?
- 文屋綿麻呂 811 征夷将軍
- 藤原忠文 940 征東大将軍だが、異伝あり
3 源義仲 1184
4 (1) 源頼朝 1192-1199 1195年辞任の説あり
5 (2) 源頼家 1202-1203
6 (3) 源実朝 1203-1219 兼内大臣
7 (4) 藤原(九条)頼経 1226-1244
8 (5) 藤原(九条)頼嗣 1244-1252
9 (6) 宗尊親王 1252-1266
10 (7) 惟康親王 1266-1289
11 (8) 久明親王 1289-1308
12 (9) 守邦親王 1308-1333
13 護良親王 1333
14 成良親王 1335-1336
15 (1) 足利尊氏 (高氏→尊氏) 1338-1358
16 (2) 足利義詮 1358-1367
17 (3) 足利義満 1367-1394 兼左大臣 退任後太政大臣 没後贈太上法皇
18 (4) 足利義持 1394-1423
19 (5) 足利義量 1423-1425
20 (6) 足利義教 1429-1441
21 (7) 足利義勝 1442-1443
22 (8) 足利義政 (義成→義政) 1449-1473
23 (9) 足利義尚 1473-1489
24 (10) 足利義稙 (義材→義尹→義稙) 1490-1493
25 (11) 足利義澄 1494-1508
26 (10) 足利義稙 (義材→義尹→義稙) 1508-1521 再任
27 (12) 足利義晴 1521-1546
28 (13) 足利義輝 (義藤→義輝) 1546-1565
29 (14) 足利義栄 1568
30 (15) 足利義昭 (義秋→義昭) 1568-1573
31 (1) 徳川家康 1603-1605
32 (2) 徳川秀忠 1605-1623
33 (3) 徳川家光 1623-1651
34 (4) 徳川家綱 1651-1680
35 (5) 徳川綱吉 1680-1709
36 (6) 徳川家宣 1709-1712
37 (7) 徳川家継 1712-1716
38 (8) 徳川吉宗 1716-1745
39 (9) 徳川家重 1745-1760
40 (10) 徳川家治 1760-1786
41 (11) 徳川家斉 1787-1837
42 (12) 徳川家慶 1837-1853
43 (13) 徳川家定 (家祥→家定) 1853-1858
44 (14) 徳川家茂 1858-1866
45 (15) 徳川慶喜 1866-1867

征夷大将軍と源頼朝

源頼朝は当初、関東武士団の棟梁(=鎌倉殿)でしかなく、律令制下における地位は何も無かった。このままでは地方反乱の長でしかない(平将門と同じ)。そこで彼は律令制下で公的な地位を得る必要があった。

1190年、彼は右近衛大将(右大将)に任官され、自らの家政機関を政所として公的に認知された。しかし近衛大将はその職務の性格上京都に在住しなければならず、関東での独立を指向するには不向きだった。そこで彼は右大将を辞任し、前右大将としてその特権を保持した。 しかし前右大将としての特権は彼一代のもので、子々孫々まで維持することはできない。

そこで出てきたのが征夷大将軍である。 この職は右大将より位が低いが、遠征軍の司令官という性格を持つがゆえに京都在住の必要が無く都合が良かった。よって頼朝はこの職を望んだ。

つまり、

を、全てまとめあげて公的に担保するのが征夷大将軍職であった。

(書きかけ)

歴史上存在した俗説

源頼朝が幕府を開いて以後、「武家の統領となる将軍に就く家柄は、源氏に連なる家系に限る」という認識が武家の間でまことしやかに慣例となっていた。
一方京都の朝廷の公家の間でもかつては、とある人物の家柄が源氏と平家のいずれに連なるかにこだわり「公家に近しい平家」「御しがたい武家の源氏」と見なす風潮があった。またこれに根ざして、源氏と平家が日本の政権を交互に執るという思想も生まれた。(源平交代思想)

関連項目





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