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冠位十二階の制度は、第一回遣隋使を600年(推古8)に派遣した時の教訓から編み出されたものであった。七世紀の東アジア情勢を考えると、倭国にとって随との国交を開いておくことが是非必要であった。因みに、『隋書』倭国伝に、倭国の使者が隋都長安の大興城まで行き、高祖文帝に接見したことが書かれていることから、遣隋使の初めての派遣を607年(推古15)とするのは、『日本書記』編纂者の改竄であることが分かる。(→上表文#遣隋使)
以下の12の位階があり、冠の色で区別した。
『日本書紀』推古十一年十二月条 十二月戊辰(ぼしん)朔壬申(じんしん)、始めて冠位のことを行う。大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、併せて十二階、並びに当色の?(あしぎぬ)を以てこれを縫う。頂(いただき)は撮(と)り総(すべ)て嚢(のう)の如くにして、縁(もとはり)を着く。唯だ元日には髻華(うず)を著す。「髻華、此をば宇孺(うず)という」
十二年春正月戊戌(ぼじゅつ)、始めて冠位を諸臣に賜うこと各差(おのおのしな)あり。 (?は糸偏に施の方偏を取った字)
ここでは、具体的な色を書いていない。色の深浅の区別は、養老令からである。「当色」は、位階相当の色として、五行思想に基づいた五常の徳目(仁・礼・信・義・智)の青・赤・黄・白・黒が考えられる。徳は、五常の徳目を統べる意があることから、漢代以降、帝王の色として尊ばれた「紫」を充てた推測できる(『漢書』天文志)。
「白」の濃淡はどうして見分けるのだろうかと疑問視されている。 冠位十二階の衣服については、高松塚古墳壁画の人物群像が参考になる。この壁画の人物図は、およそ7世紀後期から8世紀前期の風俗を伝えるものと推測されている。