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安徳天皇(あんとくてんのう)は、第81代の天皇。在位は1178年-1185年。名は言仁(ときひと)。
| Table of contents |
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2 略歴 3 諡号・追号 4 在位中の元号 5 霊廟・陵墓 6 関連事項 |
即位の同年に福原(現在の神戸市)に遷都するがまもなく還都。1183年、源満仲の入京に伴い、三種の神器とともに都落ちする。平家一門に連れられ大宰府を経て屋島に行き、行宮を置いた。平家が屋島の戦いに敗れると西海へ逃げた。そして、壇ノ浦で平家と源氏が激突。平家軍は敗北し、安徳天皇は祖母である平時子に抱かれて入水し、8歳で崩御。母の建礼門院も入水するが、引き上げられる。この際、三種の神器のうち、神璽と宝剣が海底へ沈んだ。のちに神璽は引き上げられたが、宝剣は失われた。
明治に入り、数十箇所の陵墓の伝承地の中から、阿弥陀寺に隣接するものが陵墓とされ阿弥陀寺陵(あみだじのみささぎ)とされた。神道国教化の中で阿弥陀寺は廃されて、安徳天皇を祀る赤間神宮(山口県下関市)となった。系譜
父は高倉天皇で、母は平清盛の娘の徳子(建礼門院)。
略歴
1178年に生まれ、生後まもなく立太子。2歳で即位するが、当然、政治の実権は清盛がにぎる。諡号・追号
「安徳帝」と漢風諡号がおくられた。「徳」の字を用いられたのは、怨霊封じのためであるとされる。
明治以後になると「安徳天皇」と表記する。在位中の元号
霊廟・陵墓
入水後、菩提を弔うために阿弥陀寺御影堂が建てられた。
のちに安徳天皇は、久留米水天宮(福岡県久留米市)の祭神とされて、水の神、安産の神として各地の水天宮に祀られるようになった。