|
|
成立背景には、ヘブライ語を読めないギリシア語圏のユダヤ人、また改宗ユダヤ人が増えたためだろう。所謂「ディアスポラ」のユダヤ人はヘレニズムに先行するが、ギリシャ語話者ユダヤ人は、アレクサンドロス大王の遠征以降、一層増加したと思われる。各民族語で書かれた文書が多数、ギリシャ語へ翻訳された中で、旧約聖書もギリシャ語に翻訳された。
新約聖書内には、旧約から引用する際、この訳を用いている場合が多い。パウロもヘブライ語は読めたようであるが、書簡では引用に際して一部これを用いている。ヒエロニムスも旧約の翻訳の際に、これを参照している。また、ルネサンス以前の西欧では、ヘブライ語の識者が殆どいなかったためもあって、重宝されたようである。なお東方正教会ではこれを旧約正典として扱い、翻訳の定本をマソラ本文でなく、七十人訳におく。
最古の写本では、断片的なパピルス以外には、4~5世紀のほぼ完全な写本が残っている。これは、ヘブライ語の最古の完全な写本である「レニングラード写本」(1008年)より遥かに古く、正文批判の作業で重要な位置を占める。4、5世紀のヘブライ語原典を、ある程度想像できるからである。しかし、七十人訳が原典の忠実な翻訳であるとも限らないため、問題は多い。
七十人訳聖書が含む文書数は、現存している旧約聖書ヘブライ語写本より多く、ヘブライ語写本と七十人訳で細部が異なる文書もある。キリスト教徒が七十人訳を典拠としたことから、ユダヤ教はヤムニア会議でヘブライ語写本をもたない文書を排除することを決定した。これが現在のマソラ写本の範囲を決定しており、キリスト教でも旧約の厳密な範囲をこれに限る神学者もある。しかし歴史的には中世まではキリスト教徒のもつ旧約聖書は七十人訳とほぼ同じであり、現在でもカトリックや東方教会ではそうである。いっぽうマルティン・ルターは旧約聖書の底本をヘブライ語およびアラム語写本をもつものから取ったため、その影響にあるプロテスタント諸派では、七十人訳にのみ含まれる文書を旧約外典と呼び、聖書に準ずる、または聖書に含まれない文書とみなすことが多い。