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原子爆弾(げんしばくだん)は、略して原爆ともいいウランやプルトニウムなどの核分裂をする原子を臨界状態にすることで爆発させる爆弾で核兵器の一つである。 その威力は通常兵器と比べ極めて甚大で、無差別大量に殺戮する非人道的兵器である。
そのため、この兵器を持つことを世界中で危惧され、現在では他の核兵器と共に原水爆実験禁止条約、核不拡散条約などで規制する動きがある。
マンハッタン計画によりアメリカ合衆国が1945年7月16日にニューメキシコ州アラモゴードにおいて人類初の原子爆弾の実験に成功した。
人類史上、実際の戦争において使われたのは、1945年に広島市に投下されたリトルボーイと長崎市に投下されたファットマンの2発だけである。
大量の放射線を放出し、莫大なエネルギーを生み、放射能を有するちりなどを排出するため、被害は爆発の熱、突風だけに留まらず、原爆症と呼ばれる白血病などの一生続く病気をも引き起こし多大にわたる。
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1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。原子爆弾は、広島市中心部の上空580メートルで炸裂。爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な爆風を巻き起こした。このときの状況から広島では原子爆弾のことを「ピカドン」と呼んでいる。
爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒された。石材に焼き付けられた人影が今も残っている。3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負った。
爆風による被害も甚大で、爆心地から2kmの範囲で建物のほとんど全てが倒壊した。
爆発による直接的な放射線被曝のほかに爆発後の放射性降下物による被曝被害も発生した。広島の場合大量の放射性降下物を含む「黒い雨」が降ったことが特に有名。投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性傷害が多発した。
当時の広島市内には35万の人がおり、爆心地から1.2kmの範囲では8月6日中に50%の人が死亡した。1945年12月末までに14万人が死亡したと推定されている。
その後も火傷の後遺症(ケロイド)による傷害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺ガンの増加など見られた。原爆による被害
ヒロシマ