|
|
両翼90メートル、センター120メートル。ナイター設備6機。3万人収容。外野・ライトスタンド部分は道路や住宅が点在するためポールに沿ってやや低くなっていくという変則的な球場形態だった。1960年には三原脩が率い秋山登、近藤昭仁らを擁した大洋が初優勝(日本一)に輝いた。その後は巨人・王貞治が一本足打法の第1号(1962)や日本球界初の700号ホームラン(1971)を達成するなどホームラン製造球場としてのニュアンスも強かった。
1978年にロッテ・オリオンズのフランチャイズとなってからは、張本勲の3000本安打(1980年)や落合博満の三冠王達成(1984年、85年)、そして1988年10月19日の近鉄優勝のかかった大一番(ダブルヘッダー。結局1勝1分けで準優勝=西武優勝)の舞台となるなど、観客動員こそさびしかったパ・リーグの中でひときわ輝いた存在にあった。
1989〜91年施設の大リニューアルを敢行。(スタンドの改修や電光掲示板の設置、人工芝グラウンドへの移行など)「テレビじゃ見れない川崎劇場」をうたい文句にロッテの観客動員増大キャンペーンを展開したが、その年限りでロッテが撤退(千葉市に移転)したため、プロ野球のフランチャイズとしては幕を引いた。
その後は主にアマチュア野球とアメリカンフットボールの会場として使用されたが、2000年3月スタンド部分が阪神大震災級の大地震に耐えられないことが判りスタンドの撤去工事が行われ、表舞台からは身を引いたが、2001年以降は草野球の愛好家のためにフィールド部分を開放している。ナイター設備やフェンスの広告看板も残っており、少しだけだがかつての面影を垣間見ることが出来る。