上賀茂神社の社家・北大路清操、とめの次男として生まれる。6歳の時に木版師・福田武造の養子となる。32歳の時に、福田家の家督を長男に譲り、自身は北大路姓に復帰する。
美食家としても有名で、38歳で「美食倶楽部」、42歳の時に「星岡茶寮」などの料亭を創業し、そこで使用する食器や料理を自ら創作した。
1955年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるが辞退。
1959年12月21日、ジストマによる肝硬変のため死去。