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大宝律令において、天皇と並んで規定があり、天皇と同じように院宣を以て、その意向を政治的に汲み入れることが可能であった。
平安時代の末になると、天皇との母子関係を基礎とした外戚による摂関政治から、父子関係に基礎を置いた上皇による専制的な政治=院政が行われるようになった。史上有名な上皇の多くは、この時期に属する。
天皇として即位はしなかったものの、存命中に子が天皇として即位したために太上天皇に准じて「准太上天皇」となる例もあった。鎌倉時代の後堀河天皇の父君「後高倉院」、室町時代の後花園天皇の父君「後崇光院」など。前者は、承久の乱後の朝廷最高権力者の不在から、院政を行っている。
なお、現在の皇室典範では退位を認めていないため、制度的に太上天皇は存在しない。
ちなみに、中国の皇帝でも、太上皇として存在はしており、例としては西晋の恵帝、唐の高祖、玄宗、南宋の高宗、明の英宗、清の乾隆帝等がいる。また、我が国の後高倉法皇のように帝位には即かなかったものの、没後若しくは存命中に子が皇帝となり王朝を開いた故に、太上皇の称号を贈られた例として、秦の始皇帝の父・荘襄王、漢の高祖の父・劉太公がいる。