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天皇は、日本国憲法第1条(1946年11月3日公布1947年5月3日施行)において、日本国と日本国民統合の象徴とされ、主権の存する日本国民の総意に基づき、その地位が認められているとされる。国政に関する権能を有しないものの、国会の指名に基づく内閣総理大臣の任命や、法律や条約の公布、外国の大使および公使の接受などの国事行為を行なっており、象徴とされるが元首とあつかわれることが多い。その他、天皇については日本国憲法第1章(第1条~第8条)に定められる。
一般的には、天皇の位を継承してきた天皇家は、「古事記」「日本書紀」を初めとする記録を元に系図が作られ、大和朝廷の「大王(おおきみ)」までさかのぼる歴史を持つとされている。
一方、中国の史書「宋書」倭国伝に残る「倭の五王」讃・珍・済・興・武は天皇家即ち大和朝廷の大王であるとされている。天皇家の系図に照らすと、讃=履中天皇、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇、とする説などがある。
この頃までの代々の天皇の出自や系統については、実は決して伝承通りの「万世一系」ではなく、倭国内各地の有力豪族及び倭国に進出してきた大陸・半島系の勢力の間での、複雑な権力移動が裏にあったとする見方が大勢を占める。但し実際にどのような経緯があったかについてはいまだに定説が無く、今後の研究が待たれる。
(書きかけ!幕府と天皇、南北朝など)
江戸期においては、天皇は政治的実権を奪われ、その言動も厳しく制限された。庶民の尊敬の対象は殿様や将軍に向けられ、天皇や公家は雲の上の人的な、非現実的な敬意を払われる状態であったと考えられてもいる。しかしながら、公家は実権は失ったものの茶道・俳諧等の文化活動においてその嫡流たる天皇の権威高揚につとめ、天皇は改元にあたって元号を決定する最終的権限を持っていたことをはじめ、将軍や大名の官位も、形式のうえではすべて天皇から任命されるものであり、権威の源泉として重要な意味を持つ存在であった。
そのような扱いであった天皇だが、幕藩体制が動揺しはじめると、幕府も反幕府側もその権威を利用しようと画策し、結果的に天皇の権威が高められていく。倒幕に成功した大久保利通らは、欧米視察の結果から、プロイセン式の立憲君主制を採用し、天皇を国民支配の神権的機関として利用する選択を行う。
天皇は国家神道とも結び付けられ、国家元首としての地位を与えられる。その権威が頂点に達したのは太平洋戦争時であり、昭和13年(1938年)の国家総動員法が発令された頃より、軍部により現人神(あらひとがみ)と神格化され、天皇を中心とした戦時国家体制が作られた。(cf.皇国史観)
戦後、GHQは軍国主義の一因として天皇制を廃止すべきだという主張と日本の占領行政を円滑に進める為に天皇制を存続させるべきだと主張に割れたが、国体の護持すなわち天皇制の現状維持を望む日本側政治家の強い主張もあり天皇制は存続される事となった。そして廃止派との折衷案としてイギリスの王制にならった象徴天皇制を採用し、天皇が国権に関与しないようにする現行体制が提案された。
この後GHQ総司令マッカーサー元帥と昭和天皇が並んで写っている写真が新聞に掲載された。これは今まで現人神とされ写真は「御真影」等と呼ばわされた天皇が普通に新聞に写っていることが国民の衝撃を呼び、さらには「天皇は現人神ではなく人間である」という人間宣言もされた。
人間宣言をした後、昭和天皇は自らの意思で沖縄を除く日本全国各地を巡った。この巡回は多くの日本国民に歓迎を持って迎えられ、昭和天皇も率先して国民との交流を持った。
1950~60年代には、共産主義、社会主義の実現を希望する勢力やそれ以外により、平等の名のもとに天皇制の廃止を望む意見も多数聞かれたが、現在においては廃止の意見は比較的には少ない。
かつて廃止を唱えていた日本共産党、日本社会党(現社民党)の二大革新政党においては、過去の勢いを失い、容認、黙認せざるを得ない状況となっている。
憲法学者の宮沢俊義と法哲学者の尾高朝雄の間で行われた論争。
尾高朝雄の説いたノモス主権論はあまりにも有名。
結果、宮沢説が学説上では通説的存在となり、憲法学説上、天皇を国家元首とする説は少数派になった。
現在在位している天皇は今上天皇(きんじょうてんのう)と呼ばれ、崩御の後、諡号(しごう)が定められるまでの間は大行天皇(たいこうてんのう)と呼ばれる。
古代、国内では天皇に当たる地位を大王(おおきみ)と呼んだ。雅語ではすめらのみこと。
平安時代以降は、みかど(御門、帝)と呼ばれた。
なお、報道等においては、皇室典範に規定された敬称である陛下が用いられ、「天皇陛下」と呼ばれることが多い。日常会話においては上記呼称のほか、たんに陛下・お上・当今(とうぎん)とも呼ぶ。現在の天皇
歴史
古代の天皇
ただし「古事記」「日本書紀」は古代の神話伝承をも収載した書であり、かつ白鳳時代の勅命により編纂しなおされた伝承であるため、天皇家の祖先にまつわる伝承や事績、及び初期の天皇の存在や業績や系図については、個人との対比を含め事実であったかは疑わしい。特に欠史八代の天皇については、古代中国の革命思想に則って天皇家の歴史を正当化すべく後世に年代が水増しされた、という説が有力である(実在については諸説ある)。中世
近世
明治維新
大日本帝国憲法のもとでの天皇
戦後
確かに反民主主義的であると批判する意見や、グローバル時代に民族統合を唱えるのは時代に逆行するという意見もあるが、一方で、グローバルな時代だからこそ、世界で唯一の皇帝格であるとしたり、現存する世界最古を唱える皇室であることなどから、日本のオリジナル性、日本文化を体現する存在であるとして、体制維持を望む声もある。国体論争
大日本帝国憲法のもとでは天皇は国家元首であり、明確な立憲君主制であったが、日本国憲法では象徴天皇制になったため、
日本の国家元首ないし政体(国体)はどうなのかで論争になった。
しかしながら、近年において次第に見直されつつある。天皇呼称
また、皇太子など後継者に譲位した場合は、太上天皇、または上皇と呼ばれる。(明治以降は事実上、上皇は存在しない)
天皇という表記が採用されたのは、7世紀後半の天武天皇の時代とするのが有力な説であるが、「てんのう」と呼ぶことが正式になったのは明治時代である。