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また、秦の荘襄王の即位に多大な功績のあった呂不韋や、漢の高祖(劉邦)に、その旗揚げ以来、ずっと高祖を補佐してきた蕭何と曹参のような、大功臣が丞相職につく場合には、それに敬意を表する意味で「相国」と称されることがある(発掘資料によると、呂不韋は「相邦」と称していたようである。)。ただ、漢の場合は、この二人が、「相国」と称した後はその功績をたたえるため、董卓が政権を握るまでは、プロ野球で言うところの永久欠番の様な扱いとなっていた。この相国も、後に日本に伝わり、太政大臣の中国風の呼称となり、また、この地位も適任者不在の場合は敢えて空席とされた。平清盛が「入道相国」と呼ばれたり、足利義満が京都御所の近くに立てた寺の名前が「相国寺」であるのも、歴代の徳川将軍の位牌に「正一位大相国○○院殿」と記されているのも、彼らが生前に太政大臣に就任、若しくは死後に朝廷からこの官位を贈られたからである。