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海軍兵学校を卒業後、日清戦争・日露戦争に参加し、1924年には海軍大将となる。
元老西園寺公望の信任を得て、1934年に内閣総理大臣に任命され、組閣。
在任中に天皇機関説をめぐる国体明徴問題が起こり、岡田内閣倒閣を狙う陸軍の皇道派、箕田胸喜など平沼騏一郎周辺の国家主義勢力、立憲政友会などから攻撃される。
1936年の二・二六事件で襲撃を受ける。この際、岡田とたまたま容貌が似ていた秘書で義弟の松尾伝蔵予備役大佐が身代わりとなって難を逃れたが、内閣は事件後総辞職した。
日米開戦には反対し開戦後は東條英機内閣打倒につとめた。
著書に『岡田啓介回顧録』(毎日新聞社、1950年。のち『中公文庫』に収められる)がある。