|
|
前田利家(まえだとしいえ、1538年 - 1599年)は、安土桃山時代の武将。加賀藩主前田氏の祖。従二位・権大納言。
尾張国愛知郡荒子の前田利春の次男として生まれる。1551年より織田信長に仕え、元服して又左右衛門と名乗った。青年時代は血気盛んで槍の又左右衛門の異名を放った。1559年に同輩との争いで信長の怒りに触れ、家臣団からはずされたが、1569年に許されて前田家の家督を継いだ。
その後、姉川の戦い、長篠の戦いなどで武功をあげ、柴田勝家の下で北陸平定に従事。1581年には能登国七尾城主となり、能登23万石を領有した。
1582年の本能寺の変で信長が急死し、羽柴秀吉(豊臣秀吉)と柴田勝家が対立すると、始めは勝家についていたが、秀吉側に転じた。柴田氏の滅亡後、その功で加賀国を加増され、尾山城(現在の金沢城)に移った。1584年の小牧・長久手の戦いでは、徳川家康に呼応した佐々成政を末森城で破り、越中国のうち3郡を加増された。その後、豊臣秀吉の九州出兵や小田原征伐・奥羽検地などに参加した。
豊臣政権では徳川家康と並ぶ重臣の扱いを受け、秀吉の晩年には五大老の一人として豊臣秀頼を後見した。秀吉の死後は家康側と反家康側の調停に努めたが、病死した。