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原田左之助

原田 左之助はらだ さのすけ、天保11年(1840年) - 明治元年(1866年)五月一七日)は江戸時代末の武士。伊予国松山藩生まれ。

伊予国松山藩の中間だったが、のちに脱藩。少々、キレやすい人物であったようで、ささいな口論がもとで腹を切った事がある。その傷から、「死損ね左之助」と隊内でアダ名されたようである。

近藤勇の江戸道場、試衛館以来の生え抜き隊士で十番隊組長となる。種田宝蔵院流の槍の名手として知られた。副長の土方歳三は、一番隊の沖田総司と十番隊の原田左之助を信頼して、よく使ったという。

一時は、坂本龍馬暗殺の下手人として疑われたが(暗殺現場に落ちていた鞘を伊東甲子太郎が原田の差し料と証言したため) 実際は龍馬暗殺と新撰組とは関係がなかったといわれている。(京都見廻組だと言われている)

鳥羽伏見の戦い甲陽鎮撫隊まで新選組として戦いその後、永倉新八と共に靖兵隊結成。最期は上野で、彰義隊に参戦。その戦の鉄砲傷がもとで、明治元年五月十七日に死亡する。





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