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本名 鈴木大蔵。常陸 志筑藩生まれ。脱藩して水戸に出る。 水戸に出て金子健四郎の道場に入門。神道無念流と水戸学を学び、勤王思想に傾倒する。
その後江戸へ出て、深川佐賀町の北辰一刀流 伊東道場に入門。 文武両道の人物であった甲子太郎は、道場主 伊東精一に認められ跡目を継ぎ伊東姓を名乗り 名も甲子太郎と改める。深川の道場は盛んなもので、門下生も多かったようである。
元治元年十一月、同門の藤堂平助の紹介で新選組に入隊。弟の鈴木三樹三郎、盟友の篠原泰之進、服部武雄、加納道之助、門人の内海二郎、中西昇らと京都へ上る。
新選組では文武両道、伊東道場道場主という事で参謀兼文学師範に抜擢される。近藤勇は当初歓迎したが、 土方歳三は、他ならぬ策士と見て警戒したようである。
甲子太郎と新選組は攘夷という点で結ばれたが、新選組は佐幕派で勤王(倒幕)を説こうとした甲子太郎とは 方針をめぐって対立。
慶応三年、薩摩の動向を探るという名目で離脱。御陵衛士(高台寺党)を結成。結盟以来の隊士で八番隊 組長の藤堂平助も参加する。
主に薩摩と親交をはかり新選組とは全く別の勤王活動に従事するが、慶応三年十一月十八日 油小路で新選組に暗殺された。(油小路事件)