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日本工房に入り、名取洋之助の下、写真の基礎を叩き込まれる。最初は、様々な失敗を経験したようだが、やがて、写真家としての生来の才能が開花した。
のち、著作権の取り扱いについて名取と対立し(名取は写真の著作権について(土門との契約に従い)日本工房のものであると主張したのに対し、土門は、自己の著作権を主張したといわれる)、日本工房を退社。この問題については、名取のやり方を当然のことと受け止める傾向が強い中、土門に同情する声も多い。
その後、独立し、戦後にかけて、フリーの写真家として大活躍。
後進を多く育てたことも含め、日本の写真界への貢献は、計り知れない。
土門は、様々なジャンルの写真作品を撮影しているが、いずれにおいても、自分の個性を重視した。すなわち、完全な没個性(無記名)という意味での、報道写真は、目指していなかった、といえる。