|
|
| Table of contents |
|
2 思想的背景 3 文学的価値 4 歴史学的価値 5 その他 6 内容 7 主な註釈 8 関連サイト |
成立の過程
史記のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父司馬談が既に持っていた。しかし、司馬談は歴史書を作ることなく死んだ。
紀元前104年、司馬遷が史記の叙述を開始する。
紀元前99年、司馬遷は、李陵を弁護したゆえに、獄につながれ、翌年に宮刑に処せられる。この際、獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意した。紀元前97年に出獄後は、執筆に専念する。
結果紀元前91年頃に史記が成立した。
なお、史記は、成立当初、細長い竹や木の札に文字を記し、それを何枚も紐(ひも)で結んでつくられた物(竹簡・木簡)であった。後世の紙の本と違い、それは札の位置を入れ替えたり、新しい札を間に入れたりする事が非常に簡単に出来る。論語など、中国の他の古典にも言える事だが、史記には、成立の過程において改変あるいは改竄の可能性(ようするに司馬遷以外の手が入っている可能性がある事)が考えられる。そこには紙の本と違う、容易に編集可能な竹簡・木簡の特性があると言う事に注意すべきである。
また、唐代に司馬貞が史記索隠という注釈を表した際に、司馬遷が叙述をしなかった五帝時代のひとつ前の時代である三皇時代について書いた「三皇本紀」と「序」が加えられた。
ようするに、現在ある「史記」は、完全に司馬遷一人による作品ではなく、何人もの手が加わった、共同著作である、と言う事。(司馬遷の功績を否定するものではない)
思想的背景
司馬遷が史記を執筆した時代は、武帝により儒教が国教となった時代であった。そのため、孔子については、諸侯でないものの、世家(諸侯についてかかれる部分←世家についての記事ができたら削除すべし)の中に書かれている。しかしながら、史記の記述は儒教一辺倒にならず他の思想も取り入れている。これは、事実の追求という史書編纂の目的から生まれたことであろう。
文学的価値
歴史叙述をするための簡潔で力強い書き方が評価されている。
特に項羽本紀は名文として広く知れ渡っている。
しかし人物の心理描写など〝歴史書として必要の無い部分が多すぎる〟と言う批判もある。
歴史学的価値
史記の叙述の対象は、王侯が中心であるものの、そうでないところも見られる。政治にとってたいしたことのないような民間の人間についても、遊侠列伝や滑稽列伝や貨殖列伝に記されている。このように、王侯やそれにまつわる政治の問題を越えたところにも歴史を見出そうとした点は、従来の中国の歴史書の範囲を超えており、高く評価されている。しかし、成立した当時から、年代配列の誤り、同一人物の複数人物化、別人物の同一人物化等の問題を抱えており、度々これについての是正が試みられている。その他
日本の元号の出典として12回採用されている。
内容
本紀
表
書
世家
列伝
主な註釈
関連サイト
zh-cn:史记
zh-tw:史記