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| Table of contents |
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2 歴史 3 生活 4 戦争と植民 5 関連記事 |
性質
知能は全ての生物の中で最も高度で、雑食性で言葉を使い社会を形成する傾向にある。身長は一般的に140-190cm程度。哺乳類の中で唯一直立二足歩行をし、居住地域での日光からの保護に適当な肌を持つ。また体毛は薄く、保温は服を着ることで行なう。
生活様式は多様で、食生活だけでも肉食が多い部族、草食が多い部族、どちらも同程度に食べる部族があり、一概に言うことは出来ない。元々昼行性動物と思われるが、灯り(特に電灯)を発明して以降は夜間も活発に活動する。
行動範囲が広く、熱帯雨林などの温暖な地域からシベリアなどの寒冷地帯、砂漠などの乾燥地帯など樣々な場所に分布する。
歴史
ヒトは約400万年前にアフリカ東部でチンパンジー(特にピグミー種)とヒトとに分かれたとされる。その後大地溝帯の発生等の環境の変化により、独自の進化を遂げた。やがて猿人となり、二足歩行をしだし、その事により脳が発達しやすくなったといわれている。約300万年前には道具を使い始めたと言う。
その後原人になったヒトは火を使うことを知り、狩猟などの生活が始まった。そして、徐々にその生息範囲を広げ、ジャワ原人や北京原人などはアジアにまでその痕跡を残した。
そして原人が旧人となり、ネアンデルタール人などの種があった。ネアンデールタール人は死者に花を手向けたと推定されている。
この旧人が直接現在のヒトとなったわけではない。アフリカの一部の旧人が新人となって、その生息範囲を更に広げ、氷河期などの気候の変動も影響して南アメリカまで到達した。6000-5000年前にもなると、農業が始まり、同時期に文明が発生した。初期の文明はナイル川、ユーフラテス川、インダス川、黄河流域に発生したものが有名だが、川の周辺のみでなく、例えば南アメリカ大陸のユタ文明はジャングルの中にあったが、文明としての条件を果たしていたものもあった。そして文明は範囲を広げ、今現代人としてのヒトはほとんどが文明の下に暮らすようになっている。
生活は民族間の差異が大きく、その中でも気候で暮らし方が違う。例えとしてみれば、日本では、沖縄などの亜熱帯気候では服が薄く、食べ物も暑さに負けないようなものが多いが、対して北海道では服を厚く着込み、食べ物は炭水化物などが多くなる。
そのため、各地域ごとにそれを探るのが適当であるが、最近はヨーロッパ、アメリカから派生した生活が主流となってきていて、違いが少なくなっている面もあるが、古い生活を大切にしようというスローライフ運動という運動も盛んとなり、また灯りによって夜間の活動が活発になるにつれ、生活習慣は個別化している。
戦争と植民
人類を他の生物種から際立たせる特徴は幾つかあるが、そのひとつは種内での戦争や支配行為の規模と性質であろう。
人類は有史以前からさまざまな戦いをしてきた。始めは専ら自然とであったが、史料が残るようになる頃には自然ばかりでなく、人類同士の戦いも増えてきた。文明成立以前から狩猟地やら、農業に適した土地などを争ううちに、強い集団、弱い集団の序列が出来てきた。
またもっとも初期の文明においても既に植民に類する行為があったことが確認されている。例えば、ナイル川の上流はエジプトに幾度となく占領されていたし、そのエジプトもペルシアやローマなど領主が次々と変わった。インドもアーリア人に占領され、カースト制度が生まれ、中国では漢民族とその周囲の民族、早くは長江付近の農耕民族を黄河付近の民族が制したりした。
数千年の後、帝政が強くなると、中国歴代王朝、ローマ帝国、ペルシア、オスマン帝国など多くの広範な植民地、領地、属国を持つ国が出来た。それらの国は一人の絶対権力者の下に国が成り立っていた。これらの国々の戦いは金属の剣や弓などを使う肉弾戦で、早さが勝負であった。
中世となり、ヨーロッパの商人たちが力を付けてくると、その頃発生し、着実に勢力を広げていたイスラム帝国に目を付け、帝国が彼らの信仰していたキリスト教の聖地、エルサレムを占領したのを理由にローマ教皇に聖地を取り戻すよう働きかけ、十字軍を結成させた。十字軍は何度かはエルサレムを奪回したが、おびただしい死傷者を出し、しかもすぐに奪い返された。十字軍は何回も派遣されたが、終いにはイスラムの財宝のみが目当てと化していたと言う。
中世の諸国も肉弾戦に頼る戦術を引き継いでいたが、ルネサンスがおき、学術が盛んになり、世界についての学問も盛んになるにつれ、中国から伝来した火薬を用いた火器が出来たり、軍事面でも進歩があった。そうした中で、コロンブスは世界が丸いことを実証しようとして、スペインから大西洋を西に向かった。その結果は彼の望むものではなかったが、これをきっかけにスペインはこの謎の土地に目をつけるようになった。
スペインはあらかじめ占領していたところから小数の者を送り、当該地を支配しているものに反対している現地民で勢力を増し、遂にその王を捕らえ、占領してしまう。この手法でアステカ、インカを打ち破り、更にそこから植民地を増やしていった。ヨーロッパの諸国は今までもアフリカの地中海に面する国などを支配し奴隷としてきたが、これにより世界的規模の植民地化がはじまり、特に奴隷制度による搾取もこの植民地化の大きな特徴である。
スペインから多少遅れて、ポルトガルもこの土地に手を出してきた。そして、そこが鉱物に富んでいることを知ると、彼らはアフリカのそれまでに作ってあった植民地から、また黒人同士の人身売買によって獲得した黒人達をこの土地に連れて行った。また、バスコ=ダ=ガマによって発見されたアジアへの航路により、インド、果ては東南アジアへその触手が延びた。
スペイン、ポルトガルは次第に勢力を弱めたが、次に隆盛したのはオランダであった。オランダは、スペインから独立した国家であったが、海運に長け、次第にその勢力を伸ばし、インドネシアを拠点にプランテーションなどの強制栽培や、貿易を行なった。オランダがやがて衰えたものの今度はイギリスがその地位についただけであった。
これらの地域の植民地化はおよそ戦争などと言うものではなかった。強力な武器を用いて、それを知らないものを薙ぐ。ゲリラさえ抑えられればこれほど簡単な戦いは無かった。
やがて、ヨーロッパ人の移民も多かったアメリカで独立の気運が高まった。本国が他の植民地同様に扱ったため、圧迫されていないヨーロッパ人が怒り、反旗を翻し、独立戦争を行い、遂に独立した。これは植民地独立の例として挙げられることもあるが、当時のアメリカ社会が奴隷制や、原住民の殺戮と征服の上に成り立っていることを考えると、その観点にはやや問題がある。
本格的な植民地独立が実現する前に、人類は更に深刻な戦争を経験することになった。第一次世界大戦では、ドイツ軍は毒ガスや空襲など、戦闘員、非戦闘員を無差別に攻撃した。又、相手の事を気にしなくなり、人を殺していると言う感覚もなくなっていった。そして、現在この戦い方は変わるどころか更に殺人を軽々しい物にしている。
独立してもただ植民地を増やすだけだった状況が変わったのは第二次世界大戦によってだった。日本軍が侵攻の際に、宗主国の勢力を追い出し、今まで同様の支配を行った。そして日本軍が負けるとそこは権力の空白地帯となり、独立の気運が一気に高まり、戻ってきた宗主国と独立戦争を行い、独立を勝ち取っていった。
それに影響され、アフリカでも独立が続いた。只、独立はしても、旧宗主国が民族の相関を無視した支配地の分け方をし、そのまま独立したために多くの国で独立前の状況は変わらなかった。例えばルワンダでは宗主国であったベルギーが少数派であった部族のツチ族に権力を委譲したため、多数派のフツ族が反発し、権力を奪取してツチ族の大量虐殺が起こるなど、現在まで内戦が続いている。南アフリカ共和国ではアパルトヘイトと呼ばれた差別体制が存在したが、1991年にその体制に一応の区切りが付けられた。
今でも植民地を持つ国はあるが、そのほとんどの国でかつて科していた様な利益を吸い取るような形ではなく、自治を任せる方向に転換している。しかし、プエルトリコでの問題など、別の問題も大きくなってきている。