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坂本 龍一(さかもと りゅういち、1952年1月17日 - )は作曲家、アレンジャー、音楽プロデューサー、俳優。母は帽子デザイナー、父は編集者で三島由紀夫、野間宏などを担当した坂本一亀 (さかもと かずき、? - 2002年9月28日)。
東京都立新宿高等学校を卒業し、東京芸術大学音楽学部作曲科を経て、同大学院修士課程を修了。専門は民族音楽。
一般的に「教授」とあだ名されるが、この名は高橋幸宏が付けたものだとする説が有力である。
1975年、大学院在学中に新宿ゴールデン街で意気投合したという友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』にピアノで参加。りりィのバックバンドなどスタジオミュージシャンを経て1978年に細野晴臣、高橋幸宏とともにイエロー・マジック・オーケストラ (YMO)を結成。ほぼ同時に「千のナイフ」をリリースし、ソロ・デビューも果たす。1983年に YMO を散開してからはほぼ一貫してソロ活動を行う。
1983年、大島渚の依頼により映画『戦場のメリークリスマス』にヨノイ大尉役で出演。出演の条件として音楽を担当した。同作がカンヌ国際映画祭に出品された際にベルナルド・ベルトルッチと出会い、『ラストエンペラー』への布石となった。
1987年、映画『ラストエンペラー』に甘粕正彦憲兵大尉役で俳優として出演し、音楽をデイヴィッド・バーン、コン・スーとともに担当した。音楽ではアカデミー賞オリジナル作曲賞を日本人で初めて受賞した。以後、映画音楽作家としての地位を確立する。1992年にはバルセロナオリンピック開会式にてマスゲームの音楽を作曲・指揮した。
1999年、製薬会社のCMに用いられた「エナジー・フロー」は、ミリオンセラーとなり、インストゥルメンタルの曲としては初のオリコンチャート1位を記録した。
政治的発言が多いことでも知られ、新宿高校では学生運動に関与した。1997年ごろから日本における音楽著作権の取り扱いについて、JASRACが独占して管理すること、および権利の信託が包括的にしか行えないことに対してこれを改めるようJASRACおよび文化庁に対して働きかけを行った[1]。
1999年製作の『LIFE』あたりから環境・平和問題に言及することも多くなり、地雷除去活動を支援するためのチャリティーソング『Zero Landmine』の製作 [1] やアメリカ同時多発テロ事件をきっかけとした論考集『非戦』を発表している。
現在、ニューヨーク在住。
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