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千葉ロッテマリーンズ

千葉ロッテマリーンズ(ちばロッテ・マリーンズ)は、日本のプロ野球球団で、パシフィック・リーグの球団のひとつ。

Table of contents
1 歴史
2 リーグ優勝(○印は日本一)
3 チーム名変遷
4 特徴等
5 外部リンク

歴史

1950年のパ・リーグ創設時に参戦。当時は別当薫、本堂保次、土井垣武ら阪神からの移籍組と荒巻淳投手らを中心に活躍。その年の日本ワールドシリーズの初代チャンピオンの座を射止めた。しかし1952年7月、福岡に乗り込んでの対西鉄戦で雨天と日没を悪用し故意に試合をノーゲームにした「平和台事件」をきっかけに湯浅禎夫監督が退任。チームは低迷の一途をたどる。その後、1957年に高橋と大映スターズを合併したばかりの大映ユニオンズと合併し1958年に大映毎日(大毎)オリオンズが誕生する。

次回の優勝は1960年。この年生え抜きで監督に就任した西本幸雄が榎本喜八、山内和弘、田宮謙二郎らを擁し「ミサイル打線」で2度目のリーグ制覇を飾るが日本シリーズ・大洋戦ではバント戦法が永田雅一オーナーの逆鱗に触れ、1年で解雇される格好となった。

1962~72年までは東京スタジアム(千住)を本拠地にしたが、運営母体の映画会社・大映の経営破たんで、球団を1971年に菓子食品業のロッテに売却(69年と70年は同球団とロッテは資本提携の関係だった)し、また球場も閉鎖。その為73~77年までは仙台宮城球場を中心に後楽園、神宮、川崎を転戦「ジプシー・ロッテ」といわれた。74年に金田正一監督の下で有藤道世、山崎裕之、弘田澄男、投手では成田文雄、村田兆児らを擁しての日本シリーズ(中日戦)優勝時はその主催3試合も仙台ではなく後楽園で行われた。

78年から川崎球場に落ち着くも仙台の準本拠地は継続して行われた。観客は少ないながらも張本勲の3000本安打(1980)、1984~85年の落合博満の2年連続打撃三冠などの快挙はチームはもちろんリーグ戦そのものにもに大きな光をもたらす。91年には「テレビじゃ見れない川崎劇場」を謳い文句にファン拡大作戦を実施したことでも知られる。92年に再び本拠地を移転。現在の本拠地は千葉マリンスタジアム千葉県千葉市)。

リーグ優勝(○印は日本一)

 ○1950年、1960年、1970年、○1974年

チーム名変遷

特徴等

  • 12球団で唯一、韓国系企業が親会社となる球団。そのためか、在日韓国人を積極的に起用する。例えば元巨人ピッチャーの金田正一を監督に迎えて優勝に導いた。
  • 外野席に陣取り、揃いのユニフォームを着た熱狂的マリーンズファン(通称:マリサポ)の応援パフォーマンスが近年は名物。従来プロ野球の応援に使われてきたメガホンを用いず、声援と手拍子による応援スタイルは革新的である。

外部リンク





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