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加賀藩

加賀藩は、加賀能登越中の3国にわたって領地をもった。加賀国金沢城(金沢市)に居城したので、明治の初めには金沢藩とも呼ばれた。藩主は前田氏。外様大名で、大名中最大の102万5千石を領した。

織田信長によって能登1国を与えられていた藩祖前田利家が、1583年の賤ヶ岳の戦いの後に豊臣秀吉に降って加賀2郡、さらに1585年には佐々成政と戦った功績によって加賀に2郡を加増され、嫡子利長に越中が与えられて、3国にまたがり100万石を領する前田家領の原形が形成された。

1599年、前田利家が死ぬと、加賀東部と越中の合計83万石を領する利長と、能登に21万石を領するその弟利政に分割されるが、翌年の関ヶ原の戦いに際し利長が東軍、利政が西軍に分かれ、破れた側の利政は所領を没収。かわりに利長が利政の旧領と加賀西部の西軍大名の旧領を授けられ、3国120万石に及ぶ所領を獲得した。のちに3代利常(利長の弟)が隠居するとき、庶子を取り立てて支藩とし、越中富山藩10万石と加賀大聖寺藩7万石をそれぞれ分与したので、102万5千石となる。

利常の時代に支配機構の整備が行われて藩体制が確立した。利常の孫綱紀は学者の招聘につとめ学問を振興した名君として名高く、兼六園は彼の時代に造営された。

大政奉還時は徳川慶喜を支持したが、幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後、方針を改めて新政府の北陸鎮撫軍に帰順。

廃藩置県によって金沢県となり、まもなく新川県・大聖寺県と合併して旧3国に広がる石川県を構成。1883年に旧越中4郡が分かれて富山県が設置され、現在の石川県の領域が確定した。

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