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熊沢寛道

熊沢寛道(くまざわひろみち、1890年? - 1966年)は第二次世界大戦直後に正統な皇位継承者を主張した自称天皇たちの代表的存在である。

熊沢家は足利氏に帝位を追われて尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだ南朝の後亀山天皇の子孫で南朝9代目天皇である熊野宮信雅王に始まる家であると主張している。熊沢寛道の父、熊沢大然(くまざわひろしか)は既に明治時代に皇裔承認の請願を行っていた。父の死後、熊沢は南朝第118代天皇としてひそかに即位したという。

名古屋市内で雑貨商を営んでいた熊沢は、1945年戦災で店を失い、廃業を余儀なくされる。同年日本が連合国の占領下に入ると、すぐさま進駐軍のマッカーサー総司令官に請願書を送った。当初、日本の皇室権威の弱体化を望んでいた進駐軍はこれに着目し、アメリカと日本の新聞各社が彼を熊沢天皇と呼んで取り上げたので、熊沢は一躍有名人となった。

勢いづいた熊沢天皇は全国各地を遊説して南朝の正系が自分であることを説き、天皇裕仁(昭和天皇)の退位を要求したが、歴史学者によって熊野宮信雅王の実在は否定されてしまう。一方、昭和天皇が全国を行幸して国民を激励し、歓迎を受けている様を見て、進駐軍も世間も熊沢天皇に次第に冷ややかになっていった。

1951年、を東京地方裁判所に「天皇裕仁は正統な南朝天皇から不法に帝位を奪い国民を欺いているのであるから天皇に不適格である」と訴えでて「皇位不適格訴訟」を起こすが、「天皇は裁判権に服さない」という理由で却下されてしまった。

その後ほとんど世間から忘れ去られていった熊沢天皇は、支持者の家を転々としながら活動を続け、1966年に東京で死去した。その死のニュースは外電に配信されたが、もはや記事に取り上げる海外のマスコミは存在しなかったという。





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