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長江文明

長江文明(ちょうこうぶんめい)は長江の中・下流域で栄えた古代文明。長江流域の豊富な水資源を利用してを栽培し魚を捕る稲作漁撈文化。

後に黄河文明を中心とする北方民族に征服され、この地域の人々が中国西南部と海を渡って日本朝鮮半島に逃れたとされており、前者は現在の雲南省・苗族の祖先となり、後者は日本人のルーツと考える説もある。

Table of contents
1 玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡
2 仙人洞/呂桶環遺跡
3 八十ダン(はちじゅうだん)遺跡
4 彭頭山(ほうとうざん)文化
5 河姆渡(かぼと)文化
6 馬家浜(まかほう)文化
7 大渓文化
8 良渚(りょうしょ)文化
9 屈家嶺(くつかれい)文化
10 石家河(せきかが)文化
11 呉城文化
12 三星堆文化

玉蟾岩(ぎょくせんがん)遺跡

(紀元前14000?~紀元前12000?)
湖南省道県で1993年と1995年に発掘された洞窟遺跡。
稲の籾殻が発見されているが、栽培稲か天然稲かの区別はついていない。

仙人洞/呂桶環遺跡

(紀元前12000前後?)
江西省万年県で1993年と1995年に発掘された、旧石器時代末期から新石器時代初期にかけての洞窟遺跡。
石器や大型動物の骨製器、丸底土器の破片、栽培稲の痕跡が発見された。

八十ダン(はちじゅうだん)遺跡

(紀元前8000ごろ) 1996年、湖南省澧県で遺跡が発掘された。
紀元前8000年ごろの栽培稲の籾殻が発見さた。

彭頭山(ほうとうざん)文化

(紀元前7000?~紀元前6000?)
1980年代に湖南省県彭頭山で最古の環濠集落が発見され、稲の散播農法を主流としていたと考えられている。

河姆渡(かぼと)文化

(紀元前6000?~紀元前5000?)
1973年、浙江省余姚県河姆渡で遺跡が発見された。
多量の稲籾(インディカ米が7割でそのほかジャポニカ米など)の堆積があり、さらに稲作工具である木製の柄をつけた170個余の骨耜(鋤先)が出土したことから、稲作を行っていたことがわかっている。
また、木造ホゾ組みの高床式住居に暮らし、機を織り、うるしを使用していたと考えられている。

馬家浜(まかほう)文化

(紀元前5000?~紀元前3500?)
代表遺跡は浙江省嘉興県馬家浜。河姆渡文化を継承して発展。紅陶や玉器が多く発見されている。

大渓文化

(紀元前4400?~紀元前3300?)
1958年、四川省巫山県大渓で遺跡が発見された。
出土土器は紅陶を特色とし、稲作の灌漑農法が確立し、また、葛を使用した織物が発見されている。

良渚(りょうしょ)文化

(紀元前3300?~紀元前2200?)
1936年、浙江省余杭市良渚鎮で400近い遺跡が発見された。
馬家浜文化を継承して発展し、高水準の玉器が特色。
絹織や麻織、竹編物、ろくろによる黒陶・灰陶製造が行われていた。
稲・豆・ゴマ・落花生などの穀物が多く発見されている。
このころには父系社会に移行し、階級制度と貧富のある都市国家が形成されていたと考えられている。

屈家嶺(くつかれい)文化

(紀元前3000?~紀元前2600?)
1954年、湖北省京山県屈家嶺で遺跡が発見された。
出土土器は黒陶を特色とする。
大渓文化を継承し、職集団の分業化が進み、城壁都市が出現しており、城内には運河もある。
甕棺墓の副葬品から、貧富の差があったことがわかっている。

石家河(せきかが)文化

(紀元前2800?~紀元前1500?)
1990年、湖北省天門県石家河で遺跡が発見された長江中流域最大級の都城遺跡。
土器、塑像、紡績の用具、玉器が出土しており、屈家嶺文化を継承した灰陶器を主流とし、銅器も発見されている。
版築による南北1.3km、東西1.1kmの城壁があり、城外から水を引き込んだり、運河として使用した跡がある。
伝説では、石家河の住民は三苗民族とされ、堯・舜・禹に代表される黄河流域の勢力と死闘を繰り返した。

呉城文化

(紀元前1400?~紀元前1000?)
江西省樟樹市呉城鎮で遺跡が発見された青銅器王国。
1989年には、江西省新淦大洋洲で堤防護岸工事中に殷代後期の大規模な墓が発掘されている。
副葬品は約2000点で、独特の青銅器を特色としている。

三星堆文化

(紀元前2800?~紀元前850?)
1986年、四川省広漢市三星堆で遺跡が発見された仮面王国。
約2キロ四方の版築に囲まれた城壁都市を築いていた。
金器・青銅器・玉器・象牙・子安貝など遺物が多く、「立人像」「神樹」「縦目仮面」など遺物の造形も特異なものが多くみつかっている。
史書によると古代の
四川省地方では蚕叢・柏灌・魚鳧・杜宇・鼈霊(開明)の王朝が出現し、太陽神を祀っていたとされている。(四川省は天府の国とも呼ばれており、このころの長江上流域の中心地。)
内部抗争で紀元前850年ごろに滅び、新たにこの地方に拠点を作った勢力が「蜀」、「巴」という氏族国家の始まりとみなされている。
初期の「巴蜀文字」はインダス文字に類似しており、特に印章はインダス印章に酷似している。




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