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しかし10世紀には郡の役割は低下しはじめた。11世紀には荘園の成立などにより、郡の管轄から外れて並立するような荘や院・令などが登場し、郡は地域名称へと変化していった。
1890年に郡制が公布された。郡には郡会がおかれ、郡会議員が選挙された。1921年に郡制廃止法が発布され、1923年に郡役所が廃止されると、郡はふたたび単なる地理的区分になった。現在は、住所表記や選挙区の区割りなどに用いられるにとどまる。
明治以降の郡に、市は属さない。そのため、町村に市制が施行されるとその範囲は郡域から除かれる。市の増加・拡大にともなって消滅した郡も多い。日本の郡
古代
古代の郡は、律令制の行政区画で、国の下におかれた。『日本書紀』は大化の改新のときに郡が成立したと記すが、当時は実際には評(こおり)と言っていた。大宝律令の成立のときに郡となり、かつての国造などが郡司となって管轄した。郡には郡衙(郡家)がおかれ、班田や徴税の管理に重要な役割を果たし、律令的文書行政の末端に位置した。延喜式では591郡があったとされる。中世・近世
戦国時代に大名の領国に対する支配強化の一環として、郡単位での支配郡ごとに郡代がおかれるようになった。江戸幕府も郡を地方統治の単位として利用した。近現代
明治初年の郡は地理的区分にとどまっていたが、1878年の郡区町村編制法で行政区画としての郡が復活した。同法は府県の下に郡をおく、郡長を任命することを定めた。このときに、大きな郡を分割したり、小さな郡同士で合併したりした。郡は自治体ではなく、郡長以下は国の官吏であった。郡には郡役所がおかれた。