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能(のう)とは、シテと呼ばれる俳優の歌舞を中心に、伴奏である地謡(じうたい)や囃子(はやし)などを伴って構成された音楽劇の一形態。日本の伝統芸能の一つであり、成立は中世頃と考えられている。明治時代以降は能楽とも呼ばれ、その場合狂言も含めることがある。歌舞伎についで、国際的に知られた日本の舞台芸術である。
舞(まい)、謡(うたい)、囃子(はやし)から成る。また主人公をシテ、相手方をワキと呼ぶ。能舞台の略図は劇場を参照せよ。
| Table of contents |
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2 流派 3 書物 4 関連項目 5 外部リンク |
成立
能の起源について正確なことはわかってはいないが、7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった日本最古の舞台芸能である伎楽や、奈良時代に大陸より伝わった散楽に端を発するのではないかと考えられている。散楽は当初、雅楽と共に朝廷の保護下にあったが、やがて民衆の間に広まり、それまでにあった古来の芸能と結びつき、物まねなどを中心とした滑稽な笑いの芸・寸劇に発展していった。それらはやがて猿楽と呼ばれるようになり、現在一般的に知られる能の原型がつくられていった。
一方、平安中期頃より、神道的宗教行事が起源の田楽や、仏教の寺院で行われた延年などの芸能も興り、それぞれ発達していった。これらの演者は元々農民や僧侶だったが、平安末期頃から専門的に演じる職業集団も成立していった。
猿楽・田楽・延年は、互いに影響を及ぼし合い発展していった。12世紀・13世紀頃から同業組合として「座」が生まれ、寺社の保護を受けるようになる。14世紀になると、代わって武家が田楽を保護するようになり、衣装や小道具・舞台も豪華なものになっていった。そのような状況のなか、大和猿楽の一座である結崎座より、従来の猿楽の革新者観阿弥が現れ、観世座を築いた。観阿弥は謡(うたい)にリズム的要素を取り入れ「曲舞(くせまい)」を編みだした。1375年前後のこと、時の将軍足利義満は、京都今熊野において、観阿弥とその息子の世阿弥による猿楽を鑑賞した。この時感銘を受けた義満は、観阿弥・世阿弥親子の後援を申し出る。これにより、観阿弥・世阿弥の両者は、文学的教養を備えていた義満という理解者と、それに連なる武家社会という観客を得て、洗練された作品を生み出していった。この時に、現在の能が完成されたと考えられている。
流派
シテの演技を担当することを目的に芸を継承している者たちをシテ方と呼ぶ。地謡などもシテ方が担当する。シテ方の流派には観世、宝生、金春、金剛、喜多がある。このうち、観世、宝生は上掛かり、金春、金剛、喜多は下掛り諸流とも呼ばれる。
書物
1400年、世阿弥は『風姿花伝』を著した。