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英語の音訳から、バイブル(the Bible)ともいう。ユダヤ教ではユダヤ教聖書(キリスト教における旧約聖書(Old Testament))を指し、キリスト教では、旧約聖書と新約聖書(New Testament)を指す。キリスト教では、イエス・キリスト以前の預言者と神の契約を旧約と言いキリスト以降のキリストの言葉や奇蹟を弟子達がキリストの死後書いたものを新約聖書と称している。
「旧約」「新約」の「約」とは、神との契約のことで、2世紀頃からキリスト教徒の間で呼ばれ始めた。一般に、「新約」はユダヤ教での神との契約を反古にして、神と新たに契約したということであるから、「旧約」聖書は教典の役割を果たさないのではないかと思われているようだが、例えばマタイ伝の一節「天と地が消え失せるまで、すべてが成し遂げられまでは、律法から一点一画も消えることは無い」(5:18)に見るように、キリスト教徒において旧約聖書は決して無視できない書なのである。
聖書が今日まで生き残ったのは決して当たり前のことではなかった。聖書を生み出した人々の社会は、非常に難しい試練や厳しい圧迫にさらされたので、聖書が今日まで生き残ったのはまさに驚くべきことなのである。キリスト以前の時代、「旧約聖書」を生み出したユダヤ人は比較的小さな国民であった。ユダヤ人は、覇権をめぐって抗争する政治上の強国にはさまれて不安定な状況にあった。イスラエルは、ペリシテ人、モアブ人、アンモン人、エドム人など相次いで興り立つ近隣諸国民に対しても自らの生存をかけて戦わなければならなかった。ヘブライ人が二つの王国に分裂していた期間に、残忍なアッシリア帝国は北の王国をほとんど完全にぬぐい去った。また、南の王国はバビロニア人により滅ぼされてその民は流刑に処され、わずかな残りの者たちだけが70年後に帰還した。
イスラエル人に対して民族皆殺しの企てがなされた記録も幾つかある。遠くモーセの時代に、ファラオは、イスラエル人に生まれ出る男の子すべての殺害を命じた。その命令が完全に守られていたなら、ヘブライ民族は絶滅していたであろう。(出エジプト記 1:15‐22)ずっと後、ユダヤ人がペルシャの支配下にあったころ、ユダヤ人に敵対した人々は策謀をめぐらしてユダヤ人の根絶を謀る法律を通そうとした。(エステル 3:1‐15)ユダヤ人が今日でも行うプリムの祭りはそのたくらみが失敗したことを祝うものである。
さらに後代、ユダヤ人がシリアの支配下にあった時代に、シリアの王であったアンティオコス4世はユダヤ国民のギリシャ化に力を入れ、ギリシャ人の習慣やギリシャの神々に対する崇拝を強要した。しかしそれも失敗に終わった。周囲のほとんどの国民が次々に世界史の舞台から姿を消した中で、ユダヤ人はぬぐい去られたり他民族と同化したりすることなく生存し続けた。そして、旧約聖書は彼らと共に生き続けた。
「新約聖書」を生み出したクリスチャンたちも圧迫を受けた人々であった。その指導者イエス・キリストは普通の犯罪者のようにして殺された。イエスの死後まだ間もないころ、パレスチナ地方のユダヤ人官憲はクリスチャンを抑圧しようとした。キリスト教が他の土地にも広がった時、その時代のユダヤ人は、クリスチャンを追い回して宣教の業を妨害しようとした。―使徒 5:27,28; 7:58‐60; 11:19‐21; 13:45; 14:19; 18:5,6。
当初は寛容であったローマ官憲の態度はネロの時代に変化した。タキツスは、この凶暴な皇帝によってクリスチャンに加えられた「この上ない責め苦」について誇らかに述べている。そしてネロの時代以後、クリスチャンになるということは死罪に当たることとされた。 紀元303年、皇帝ディオクレティアヌスは聖書に真っ向から敵対する行動を取った。 キリスト教を一掃しようとしたディオクレティアヌスは、クリスチャンの聖書すべてを焼き捨てるように命じた。
こうした圧迫や集団虐殺のたくらみは聖書が生き残る上で真の脅威となった。ユダヤ人がフィリスティア人やモアブ人と同じ運命をたどっていたなら、またキリスト教を一掃しようとする、初めはユダヤ人の、次いでローマ官憲の企てがそのとおりになっていたなら、だれが聖書を書き、またそれを保存したであろうか。幸いにも、聖書の守り手たち―初めはユダヤ人、次いでクリスチャンたち―がぬぐい去られることはなく、聖書は生き続けてきた。しかし、聖書が生き続けることに対してではないまでも、その完全な保存に対して別の重大な脅威があった。
後に忘れ去られた前述の古代文書の多くは、石に刻み込まれるか、あるいは耐久性のある粘土板に印刻されていた。聖書の場合はそうではない。聖書はもともとパピルス紙や羊皮紙に、つまりもっと朽ち果てやすい材料に書き付けられた。そのため、もともとの筆者による手書き原稿ははるか遠い昔に消失した。では、聖書はどのようにして保存されてきたのであろうか。幾千も数えきれないほどの写本が丹念な手書きによって作られた。印刷術が考案されるまでは、これが書物を複製するための普通の方法であった。
しかし、手で書き写すことには危険が伴う。広く名を知られた考古学者で大英博物館の館長であったフレデリック・ケニヨン卿はその点をこう説明している。「人間の手と頭脳はいまだ、長大な文書の全体を全く誤りなく書き写せるようにはなっていない。……間違いが入り込むことは避け得なかった」。ある写本に間違いが入り込み、その写本が後の写本の底本になると、同じ間違いが繰り返される結果になった。長い期間にわたって幾度も写本がなされると、数多くの人間的な誤りが紛れ込むことになった。
写本が幾千となく作られてきたことを考えるとき、そのような複写再生の過程によっても聖書の内容が見分けのつかないほどに変わってしまわなかったことを、どうしたら確認することができるであろうか。「旧約聖書」の場合を考えてみよう。西暦前6世紀の後半、ユダヤ人がバビロンへの流刑から帰還した時、ソフェリムすなわち「書記(書士)たち」として知られるヘブライ人の学者たちの一群が、旧約聖書本文の守護者となった。公の場や私的な崇拝の際に使用するための聖書写本を作ることがその人々の仕事であったが、それらは、高潔な動機を抱く、専門知識を備えた人々であり、その仕事の質は最高度のものであった。
ソフェリムの後を継いで西暦7世紀から10世紀ごろに活動したのはマソラ学者であった。この名称は「伝承」という意味のヘブライ語から来ており、本質的にはこれらの人々も、伝統的ヘブライ語本文を保存する務めを担った書記たちであった。マソラ学者は細心の仕事をした。例えば、書記は、書き写すための原本として内容の正しさを十分に証明された写本を使用しなければならなかったし、記憶に頼って書くことはいっさい許されなかった。一文字一文字確かめながら書かねばならなかった。ノーマン・K・ゴットワルド教授はこう記している。「職務を果たす際の彼らの注意のほどはラビの要求事項の中にも示されており、新しく作られた写本はすべて校正され、欠陥のある写本は直ちに廃棄されることになっていた」。
ソフェリムやマソラ学者による聖書本文の伝達はどれほど正確になされたのだろうか。1947年になるまで、この疑問に答えるのは容易なことではなかった。入手し得る完全にそろった最古の旧約聖書写本は西暦10世紀のものであったからである。しかし1947年、幾つもの非常に古い写本の断片が死海付近の洞窟から発見され、旧約聖書の数多くの書の断片もその中に含まれていた。キリスト時代以前の写本断片も多数あった。学者たちは、本文伝達の正確さを確認するために、それら断片と現存していた写本とを比較した。
発見された最古の書物の一つは完全にそろったイザヤ書であった。その写本と今日のマソラ聖書との同一性には驚くべきものがあった。ミラー・バロウズ教授はこう書いている。「[近年発見された]聖マルコ修道院所属のイザヤ書巻とマソラ本文との相違の多くは書写上の誤りとして説明し得る。そうした点を別にすれば、概して、中世の写本に見られる本文との著しい一致が認められる。これほど古い写本に認められるこのような一致は、伝統的本文の全般的な正確さに対する再保証となる」。 バロウズ教授はさらにこう付け加えている。「1,000年もの間に生じた本文の改変がこれほどわずかであったというのは驚くべきことである」。
クリスチャンによってギリシャ語で書かれた新約聖書の部分について言えば、その写字生たちは、高度の訓練を受けた専門的ソフェリムというよりは、むしろ素養のあるアマチュアと言うべき人々であった。しかしそれらの人々は、官憲当局者からの処罰という脅威のもとで作業をしたために、自分たちの仕事を真剣に受け止めていた。今日の聖書本文が原筆者たちの手になるものと本質的に同一であることについて次の二つの保証がある。まず、聖書のヘブライ語部分に比べれば、時代的に見て最初に書かれたものにずっと近い写本が残っている。実際のところ、ヨハネ福音書のある断片は2世紀の前半、つまりヨハネがその福音書を記したとみなされる時代から50年以内のものである。第二に、現存している写本の数の豊富さそのものが本文の確かさに関する圧倒的な論証となる。
この点に関しフレデリック・ケニヨン卿はこう証言した。「聖書の本文は実質的に見て確かなものであると明言してさしつかえない。新約聖書について特にこのことが言える。新約聖書の写本の数、また初期の翻訳やごく初期の教会著述家たちによる引用句の数はきわめて多く、疑問のあるいかなる章句についてもその真正の読み方がこれら古代の権威ある文献のいずれかにほぼ確実に保存されている。このようなことは世界の他のどんな古代文書に関しても例を見ない」。
聖書の歴史
聖書の写本の歴史
関連項目